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P-MODEL : ウィキペディア日本語版
P-MODEL[ぴー もでる]

P-MODEL(ピー・モデル)は、日本音楽グループ
1979年プログレッシブ・ロック・バンドの「マンドレイク」を母体に、平沢進がリーダーとなって結成され、シングル『美術館で会った人だろ』でデビュー。その後、民族音楽テクノを融合させたようなアジアン・テクノ、独自の世界観を持った歌詞表現などで独特の音楽を展開していった。
1988年に「凍結」と称して活動を休止。1991年に「解凍」と称して活動を再開するが、2000年に再び「培養」と称して活動を休止している。
ここでは、2004年から断続的に活動している核P-MODELも記述する。
== 略歴 ==

=== 初期 ===

*1979年1月1日結成。オリジナル・メンバーは「マンドレイク」から平沢進、田中靖美、田井中貞利、そして彼らのファンだった秋山勝彦。ステージでのデビューは同年3月下北沢ロフト。ヴァン・ヘイレンの来日ライブの前座を務めたことで人気に火が点き、同年7月シングル『美術館であった人だろ』でメジャーデビューした。
*1980年1月には、P-MODELの個人事務所「MODEL HOUSE」主催の初の全国ツアー「P-TRICK PLAN」開始。テクノ御三家の1つとして様々なメディアにも出演した。
*1980年5月、過熱するテクノポップブームへの危機感からバンドは大幅な路線変更を打ち出した。これに伴い秋山とバンドの間でステージパフォーマンスの方向性に食い違いが生じ、秋山は同年11月に脱退した(実際は解雇に近い形である。2ndアルバムでは秋山も楽曲製作に携わっていたが、中心となっていたのはあくまでも平沢と田中であった)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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