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ピーター・ポール&マリー(Peter, Paul and Mary)は、1960年代のアメリカで最も成功したフォークグループの一つ。ピーター・ヤーロウ(Peter Yarrow、1938年5月31日 - )、ノエル・ポール・ストゥーキー(Noel Paul Stookey、1937年12月30日 - )と マリー・トラヴァース(Mary Travers、1936年11月9日 - 2009年9月16日)のトリオ。ベトナム反戦のメッセージを全世界に送り出した。通称PP&M。 ==歴史== このグループは、「背の高いブロンド(トラヴァース)、陽気なやつ(ストゥーキー)、そして見た目の良い気のいいやつ(ヤーロウ)」を揃えた「スーパーグループ」をイメージしたマネージャー、アルバート・グロスマンによって生み出されたものである。彼はこのグループを1961年に旗揚げさせ、早速にニューヨークのグリニッジヴィレッジのコーヒー店「ビターエンド」に出演させた。ここはフォークソングを聴くには人気の店であった。グループは、翌年にはファーストアルバム「ピーター・ポール&マリー 」をリリース。それには、「500マイル」、「レモンツリー」、「花はどこへ行った」、そしてピート・シーガーのヒット曲「天使のハンマー(ハンマーソング)」が含まれていた。アルバムは、ビルボード誌のトップ10に10ヶ月君臨し、トップ100に3年以上にわたり留まった。 1963年、彼らは、3枚のアルバムを録音し、新曲「パフ」をリリースした。これは、ヤーロウと彼の友人でコーネル大学の学生レオナルド・リプトンがもともと1959年に作詞作曲したものである。1963年のワシントン大行進では「天使のハンマー」が歌われた。マーティン・ルーサー・キングがかの有名な演説「私には夢がある」(I Have a Dream)を語ったのは、この行進の際である。彼等の最大のヒットは、ボブ・ディラン の「風に吹かれて」で、これは世界中での大ヒットとなっている。これが、ワーナー・ブラザース・レコードに移籍しての最初のシングルカット曲でもあった。その後長くグループは、アメリカ合衆国の公民権運動やその他の社会的正義を主導する運動の第一線に立ち続けた。後年のヒット曲「悲しみのジェット・プレイン」は、当時全くの無名だったジョン・デンバーによって書かれた。 1964年に初来日して以降、1960年代にはしばしば来日公演を行い、1967年の来日時には、ライブ盤「''In Japan''」を制作した〔Peter, Paul & Mary in Japan 〕。 グループは、ソロ活動のために1970年解散するが、グループとして活動していた当時程の成功を収めることはできなかった。唯一の例外はストゥーキーの「ウェディングソング(There Is Love)」で、これはヤーロウが、上院議員ユージーン・マッカーシーの姪メアリーベス・マッカーシーと結婚する際にその結婚式のために作曲されたもので、ちょっとしたヒットとなり、1971年のリリース以来結婚式のスタンダードナンバーとなっている。 1978年に彼らは原発反対運動の支援コンサートのために再結成し、一緒にアルバムを製作し、以来一緒にコンサートツアーを行ってきた。彼らは年間40回のコンサートを毎年行ってきた。 1999年、ヴォーカルグループ殿堂入り。 2005年、マリー・トラヴァースが白血病と診断され、その年のコンサートツアーはキャンセルされた。 2007年2月、ノエル・ポール・ストゥーキーが、ソロ活動として北朝鮮による日本人拉致問題の解決(横田めぐみ救出と北朝鮮の譲歩)を願う「Song for Megumi」を発表。5月にも来日し、拉致被害者支援コンサートに参加した。 2009年9月16日、マリー・トラヴァースが、白血病のためコネティカット州ダンベリーの病院で死去。72歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ピーター・ポール&マリー」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Peter, Paul and Mary 」があります。 スポンサード リンク
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