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スペイン社会労働党(スペインしゃかいろうどうとう、)は、スペインの社会民主主義政党。略称はPSOE(ペソエ)。スペイン社会労働者党と日本語訳される場合もある。社会主義インターナショナル加盟政党である。 == 党史 == 1879年に労働者によるマルクス主義政党として、ガリシア地方フェロル出身のパブロ・イグレシアスによってマドリードで結成された。1936年にスペイン人民戦線内閣に参加したが、スペイン内乱中に革命主義を掲げる左派と修正主義の右派に分裂した。さらに内戦を制したフランシスコ・フランコ独裁政権のもとでは非合法化され、地下活動やフランスやアメリカ合衆国、メキシコでの国外活動を余儀なくされた。なお当時のことを著述する日本語文献では社会労働党ではなく(スペイン)社会党と書かれることが多いが、同じ政党である。 1974年にフェリーペ・ゴンサーレスが書記長に就任すると、彼の指導のもと再合同と右旋回がはかられて社会民主主義政党に移行し、フランコ死後の1977年の民主選挙で30%の得票を獲得して第二党になった。1982年の総選挙では48%の得票を獲得して下院の過半数を占める歴史的大勝利を収め、38年ぶりに政権の座についた。社会労働党政権は資本主義とリベラリズム(社会自由主義)を混合した政策をとり、民主化を推進し、労働者の雇用の確保を第一の目標とする一方で、欧州諸共同体や北大西洋条約機構に加盟して湾岸戦争ではアメリカと共同歩調をとった。 党は1986年、1989年、1993年の総選挙に勝利してゴンサーレス首相の長期政権が続いたが、1990年代に ETA のテロが続発する中で、党幹部による不正問題などが発覚し支持を失い、1996年にテロ撲滅を掲げる国民党に政権を譲った。 2001年にゴンサーレスに代わって書記長となったホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテーロは党を刷新して党勢を回復させ、2003年の地方選挙に勝利した。 2004年の総選挙は当初劣勢が報じられたが、投票の3日前の3月11日にマドリードのスペイン国鉄 (RENFE) の近郊線でおこった最大規模の爆弾テロ (11-M) をきっかけとして国民党政権のイラク戦争に対するアメリカ追随に対する批判票を集め、40%を越える得票を獲得して第一党に復帰、8年ぶりに政権を奪取した。そしてイラク撤退や同性結婚の合法化など、リベラルな政策を実行している。 2008年3月9日に上下両院の選挙が実施され、下院(350議席)で前回より5議席増の169議席を獲得し第一党の座を死守したが、目標としていた単独過半数を確保するまでには至らなかった。 2011年11月20日の総選挙では下院で59議席を失い110議席と惨敗し、7年ぶりに政権を手放すこととなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スペイン社会労働党」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Spanish Socialist Workers' Party 」があります。 スポンサード リンク
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