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パンツァービュクセ(〔ドイツ語で“パンツァー()”は「装甲」、転じて「戦車」を指す単語で、“ビュクセ()”とは、原意としては「片方の開いた筒状のもの」を示す言葉で、ドイツ語としては通常「拳銃を除いた手持ち火器」「軍事用途ではないライフル銃」を指す。日本語の訳語としては「ライフル銃」、もしくは「猟銃」とされることが一般的である。 “パンツァービュクセ(”は日本語では通常「対戦車銃」もしくは「対戦車ライフル」と訳される。〕)はナチスドイツが第二次世界大戦で使用した対戦車ライフルの名称である。 略称である“PzB”の名で呼ばれることもある。 *当項目においては“パンツァービュクセ((PzB)”の制式名称でドイツ軍に装備された対戦車ライフルについて、「PzB38」及び「PzB39」、更にその派生型と、後継として開発されたものについて記述する。 == 概要 == ラインメタル・ボルジッヒ社及びグストロフ・ヴェルケ(Gustloff-Werke)社によって開発、製造された単発式の対戦車ライフルで、垂直鎖栓式の閉鎖機構を持つ、20世紀に設計されたものとしては珍しい銃器である。 もう一つの特徴は、使用弾薬の7.92x94 Patr.318の弾頭直径が名の通り7.92mmと小さいことで、口径10mmを超えるものが一般的な対戦車ライフルの中では非常に小さいものである。これは小口径の弾頭を多量の炸薬を使って発射することにより高い銃口初速を達成し、それにより高い貫通力を得ることを目的としたもので、弾頭に対して薬莢は非常に大きく、極端なボトルネック形状となっている。 最初の製造型であるPzB38は1939年より部隊運用が開始され、ポーランド侵攻で用いられたが、総重量が大きく取り扱いに困難が多い上、構造が複雑で故障が多く、また製造コストも高かったことから制式採用後の製造と配備がはかどらず、1940年には構造を簡略化して各部を軽量化したPzB39が開発された。 しかし、PzB38/39共に第二次世界大戦最初期の戦車に対しても威力は十分とはいえず、目標の後面や側面を狙った射撃で辛うじて戦果を挙げられるに留まり、ソヴィエト侵攻の際に出現したT-34中戦車やKV-1重戦車等に対しては威力不足で、他国の対戦車ライフルと同じく「対戦車兵器」としての有用性を早々に失うことになった。 1940年からは後継となる新型対戦車銃の開発も進められ、“PzB40”の仮名称でドイツの銃器メーカー各社によりいくつかのモデルが試作された。これらはいずれも7.92x94 Patr.318弾を使用する連発式自動火器であったが、どれも威力面で不十分と判断された。1941年の秋より“”の計画名称でMG151/15航空機関砲用の15x96 mm弾を使用する新型対戦車銃の開発も進められ、グストロフ・ヴェルケ社の「PzB Gustloff Werke Model 1941」が採用されたが、この口径でも連合軍の新型戦車に対しては威力が不足していると結論され、さらなる口径拡大型としてMG151/20用の20x82mm弾を使用する対戦車銃が計画されたが、パンツァーシュレックやパンツァーファウストといった成形炸薬弾頭を使用する対戦車兵器の開発と生産が進められていることから、いずれも不採用となった。 第2次大戦において、各国の対戦車ライフルはどれも戦車の急速な進歩に威力が追いつかず、その大口径を活かした長距離狙撃や陣地攻撃などに転用されたが、PzBシリーズは弾頭が小さいために榴弾を用いた陣地攻撃にも適さず、大戦中盤には前線より引き揚げられ、空砲を用いた小銃擲弾発射装置、〔“(グラナーテビュクセ)”とは「擲弾銃」もしくは「擲弾発射器」の意。〕に改造された。Gnb39は小銃擲弾を投射するにあたって、小銃を使うよりも長い射程を得られるため、以後は専らこの用途に用いられたが、多数が製造(改造)されたにも関わらず、前線部隊での使用数は多くはない。 ドイツ参謀本部は1944年10月には対戦車ライフルの前線運用を中止する決定を下し、同年11月15日をもって全てを予備兵器とすることを指令し、これをもってナチスドイツにおける対戦車ライフルの運用は公式には終了したが、予備兵器を動員したものとして第二次世界大戦末期に使用された例がある、とする文献もある。 生産数はPzB38が1,400梃余、PzB39が約40,000梃で、PzB39のうち28,000梃余がGnB39に改造された。1939年より1942年までの間に生産された7.92x94弾は、各種合わせて約941万7400発である〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パンツァービュクセ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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