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R38は、第一次世界大戦の最後の数か月の時点でイギリス海軍のために建造された硬式飛行船。本機は北海での哨戒任務にあたることを想定していた。アメリカ海軍が購入することになっていたが、引き渡し前の試験飛行中に墜落した。 イギリス海軍本部はそもそも「R38級」(または「A級」)としてR38・R39・R40・R41の4隻を発注していたが、ドイツとの休戦によりR39以降の3隻はキャンセルされ、1番船のR38のみ、アメリカ海軍が購入の意思を示したため建造が続けられた。初飛行は1921年に行われ、その時点で世界最大の飛行船であった〔Airshipsonline〕。アメリカ海軍での呼称「ZR-2」が書かれた本船は4回の試験飛行を完了し、最終的な試験を兼ねたレイクハーストへの移動飛行を待つばかりだった〔Department of the Navy〕が、1921年8月23日、ハル市の上空を飛行中、構造の欠陥が原因で破壊され、ハンバー川に墜落した。49人の乗員のうち死者は44人にのぼった。この犠牲者数は有名なヒンデンブルク号爆発事故よりも多い。 == 設計と開発 == R38級は1918年6月に海軍本部が提示した「基地から300マイル以上の距離を6日間にわたって哨戒し、22,000フィートまで上昇できる飛行船」という要求に応えて設計されたものであり、偵察任務のほかにも、水上船舶の護衛任務のために大きな武器搭載量が設定されていた。R38の契約はショート・ブラザーズが獲得し、さらに同型3隻の追加発注が行われた。R38の建造は1919年2月、ベッドフォードシャー州カーディントンで開始された。既存のハンガーの中で建造を進めるために、オリジナルの設計へのいくつかの変更が余儀なくされた。動力用ゴンドラのうち2基は高さを節約するために船体構造の側面に移され、また気嚢の数も16個から14個まで減らされて、併せて船体外周のリングの数も減らされた。 1919年後半になって、平和時における経済の原則に従い、いくつかの飛行船の注文がキャンセルされ、それにはまだ建造に着手されていないR38級の3隻(R39、R40、R41)も含まれていた〔。削減の対象は拡大され、建造中のR38もキャンセルされそうになったが、実行される前の10月、プロジェクトごとアメリカに売却されることになった。 アメリカ海軍は艦隊に硬式飛行船を加えることを意図し、当初、戦争賠償の一部としてドイツのツェッペリン飛行船を数隻獲得する予定であったが、それらは1919年にドイツの乗員の手で故意に破壊されてしまった。アメリカは新しい飛行船の(ドイツの費用負担による)建造をツェッペリンに求めるとともに、それに付随して自らも1隻を建造する予定だった。R38のキャンセルのニュースを知ったアメリカはその購入を計画し、調査を行った。結局、1919年10月に2,000,000ドルで購入するという合意が成立し、飛行船の建造は再開された。係留塔への係留装置を船首に取り付ける修正が行われ、その1トンの重さを釣り合わせるために尾部にバラストが追加された。この修正は、重量軽減を図った設計を施したこの飛行船の、縦方向の強度に悪影響を与えるものだった。ドイツは戦争の終わり頃に軽量の高高度飛行船を建造していたが、その一つであるL 70は1918年8月に撃墜され、その船体の一部をイギリスは北海から回収していた。しかしイギリスでは、そのタイプのツェッペリン飛行船について、その軽量構造の故に、機動、特に急激な方向転換が制限されていたことには気づいていなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「R38 (飛行船)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 R38-class airship 」があります。 スポンサード リンク
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