|
S-KEN(エスケン)は、日本のプロデューサー、ミュージシャン、作詞家、作曲家。 本名は田中唯士。出身地は東京。 == 来歴 == 1971年、作曲を担当した「自由通りの午後」がポーランド音楽祭の日本代表に選抜され、アイ・ジョージは、この年のNHK「紅白歌合戦」でこの曲を歌う。佐藤健らと「ピースシティー」を結成。CBS SONYからバンドアレンジの「自由通りの午後」などシングルを2枚リリース。 1972年、ヤマハの音楽誌「ライトミュージック」の編集者やコーディネーターで活躍する一方、演奏作曲活動を続ける。細野晴臣のセカンド・アルバム「トロピカル・ダンディー」に制作協力。 1975年、財団法人ヤマハ音楽振興会の特派員として渡米。L.AやN.Yから「ライトミュージック」に寄稿、世界歌謡祭のコーディネーターなど多方面で活動。 1978年、ニューヨークより帰国後、ライター、フリー・エディターで活躍しつつ、バンド「S-KEN」を結成。フリクション、LIZARD、ミラーズ、ミスター・カイトらと「東京ロッカーズ」と題したライヴ・パフォーマンスを、S-KENスタジオ、新宿ロフトなどを中心に展開。日本の初のパンク&ニューウェーヴムーブメントとして話題になる。 1979年、オムニバス・アルバム『東京ROCKERS』に3曲参加。 1981年、日本コロムビアより、S-KEN個人としてのデビュー・アルバム『魔都』、シングル『サクサク』を発表。 1983年、東京のストリート・ファッションを、三枚扉に封じ込めたムックPINHEADを責任編集(CBSソニー出版)。2nd.アルバム『ギャング・バスターズ』、シングル『恋のバガボンド』を発表。新宿ツバキハウスで初のクラブイベント「ニポニーズ・ナイト」を5回に渡りプロデュース。東京ブラボー、じゃがたら、PINK、竹中直人、中村ゆうじ、沼田元氣、戸川純などが参加。 1985年、窪田晴男、ヤヒロトモヒロ、小田原豊らと「S-KEN & HOT BOMBOMS」を結成し、CBSソニーよりアルバム『JUNGLE・DA』(S-KEN名義)、シングル『感電キング』を発表。以後、佐野篤、矢代恒彦、多田暁、松永俊弥、今堀恒雄、スティーヴ・エトウなどがメンバーとして参加。バンド活動休止(1990年)までアルバムを4枚リリース。 1986年、じゃがたら、MUTE BEAT、トマトスなどと共に、多様なグルーヴとDJをコンビネーションしたクラブイベント「東京ソイソース」プロジェクトをスタート。インクスティック芝浦ファクトリーを拠点に展開。ゲストにタイニーパンクス(藤原ヒロシ、高木完)、ラファエルセバーグ、近田春夫などが参加。 1987年、アルバム『パー・プー・ビー』を発表。 1988年、アルバム『千の眼』を発表。東京に暮らす外国人を活写した、ノンフィクションにして江戸時代にさかのぼる都市論、『異人都市TOKYO』刊行。 1989年、もうひとつのユニット「S-KEN & TRA TRA TRA」活動開始。窪田晴男、早川岳晴、清水一登、スティーヴ・エトウ、小田原豊などが参加。 音楽、ダンス、コメディー、マジックなどミックスした初のクラブイベント「エスケンのカメレオンナイト」プロデュース開始。六本木インクスティック、芝浦インクスティックなどを拠点にスタート。後に関西にも広がる。大阪では同名のラジオ番組もスタートする。 1990年、新生「S-KEN & HOT BOMBOMS」でアルバム『SEVEN ENEMIES』を発売。 1991年、後楽園ルナパークにて「エスケンのカメレオンナイト」のスペシャルイベント“東京ラテン宣言スペシャル’91”(6日間連続)をプロデュース。浜村美智子、渡辺マリ、オルケスタ・デ・ラ・ルス、フィッシュマンズ、PJバンド、ザ・スリル、桜川唯丸&スピリチュアル・ユニティ、ネーネーズwith知名定男、DJにはラファエル・セバーグなどが参加。この野外イベントに参加した新人アーティストを中心にCD『東京ラテン宣言』(アポロン)を制作、この作品が初めてのCDプロデュースとなる。 1992年、アシッドジャズのコンピレーション・アルバム『JAZZ HIP JAP』プロデュース (NECアベニュー)。以後、翌年1993年にかけてvol2、ミニアルバムも数枚リリース。海外でもリリースが相次ぎ、イギリスの音楽誌「ミュージック・ウイクリー」のセールスチャートで6位となる。収録アーティスト DJタケムラ、EL-MALO、Monday満ちる、DJ KRUSH、DJ MATSUOKAなど。 1993年、日本コロムビアよりS-KENプロデュース“チャンス”レーベル発足、エスカレーターズ、BONNIE PINK(浅田香織名義)、DJ KRUSH、リトルビッグビー、カブ (バンド)、アモーレ・ヒロスケ&ラブマシーン、河内家菊水丸、バキュームプロダクションなどをプロデュース。 1996年、4月、自ら発掘した新世代のアーティストコンピレーション・アルバムプロジェクト『SOUP UP』を三年間にわたってプロデュース(東芝EMI)。『SOUP UP』『SOUP UP Vol2』『SOUP UP Vol3』の三部作に収録されたアーティストは、パレード、SUPER BUTTER DOG、マグースイム、Flim-Flam、ソウルレベル、リトル・ビッグビー、クラムボン、ラヴライフ、smorgas、フリーボ、コーヒーカラー、DONNY FU。その後10アーティストがメジャー・デビューしている。ワーナーミュージック・ジャパンよりマージナルライン・レーベルを発足。パレード、クラムボン、SPANOVA、Flim-Flamをプロデュース。 1998年、日本クラウンよりLOW BLOWレーベル発足。カメラマンズ、アカカゲ、MONG HANG、DATESPEAKERなどプロデュース。 1999年、ワールドアパート有限会社をCOOL DRIVEのマネージャーだった浅野勇一と共に設立。代表取締役プロデューサー。 2000年、~現在 ワールドアパートにおいてPE'Z、中山うり、コーヒーカラー、ROCO、nitt、エイミアンナプルナ、アイララ、DONNY FUなどをプロデュース。 2007年、S-KEN & HOT BOMBOMS 『JUNGLE・DA』『パープービー』『千の眼』『セブン・エネミーズ』4枚同時再発決定。再発を記念してPE'Zとコラボレーション、S-KEN & PE'Z名義によるアルバム『HABANA 2 TOKYO』をiTunes Storeより配信限定リリース。この再発以降、不定期ではあるが、S-KEN & HOT BOMBOMのライヴ活動が、S-KEN(Vo.)、窪田晴男(G.)、小田原豊(Dr.)、佐野篤(B.)、ヤヒロトモヒロ(Perc.)、多田暁(Tp.)、矢代恒彦(Key.)のオリジナルメンバーで復活している。 2008年、自転車を主人公にした初の児童小説「ジャバ」を(ソニーマガジンズ)発表。〔来歴は公式サイトを参照。〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「S-KEN」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|