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SB2Cはカーチス社が第二次世界大戦で開発生産したアメリカ海軍の偵察爆撃機。愛称はヘルダイバー(''Helldiver'')、同社が以前開発した急降下爆撃機の代名詞の二代目を称した。 == 開発・運用 == ダグラスSBDドーントレス偵察爆撃機の後継機として開発された。原型機の初飛行は1940年12月のことである。ドーントレスより速度・爆弾搭載量が強化され、機銃も12.7mmから20mmに強化された。SBDと違い、爆弾は胴体下部の爆弾倉内に収納する。 開発においては、要求性能的に大型になる事が避けられない機体を、航空母艦のエレベーターに収めるために無理やりに機体後半部を切り詰めた設計にしたことと、性能より生産性を重視した仕様の為、操縦性・離着艦性能などの安定性はあまり良くなく、トラブルの多い機体だった。当時の操縦士達からは型番をもじって「サノバビッチ・セカンドクラス(Son of a Bitch 2nd Class:二流のろくでなし)」と暗に呼ばれ、忌み嫌われていた。〔Shettle 2001, p. 29.〕 現場での評価とは裏腹に、急降下爆撃から雷撃までが可能な本機の多目的性は上層部から高く評価され、生産機数は実に7,000機以上にも及び、SBDに替わってアメリカ海軍の戦争後期の主力艦上爆撃機となっている。 1943年11月から実戦に投入され、主に太平洋各地・日本本土空襲で活躍した。大きな活躍と言えば坊の岬沖海戦での戦艦大和攻撃が挙げられる。アメリカ陸軍航空軍でもA-25として採用されたが、多くの機体が再び海兵隊のSB2Cとして配備された。米陸軍機としては標的の曳航などの支援任務に従事し、実戦には参加しなかった。また、イギリス海軍の艦隊航空隊では少数の機体がカーチス・ヘルダイバー Mk.I(''Curtiss Helldiver Mk.I'')として使用された。戦後、フランス海軍航空隊に供給された機体はインドシナ戦争に参加した。また、ギリシャ、タイ、イタリアにも供与され、1950年代半ばまで使用された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「SB2C (航空機)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Curtiss SB2C Helldiver 」があります。 スポンサード リンク
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