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しのざき美知(しのざきみち、1968年6月24日 - )は、日本の元お笑いタレント、元歌手。 埼玉県浦和市(当時。現在のさいたま市浦和区)出身。旧姓の本名は、篠崎三千代。デビュー当初は、スターダストプロモーションに所属。その後吉本興業・代官山プロダクションに移籍した。 == 経歴 == *1983年8月に『笑っていいとも!』の『私のメロディー』に出演をきっかけに、翌1984年に芸能界デビュー。その際いいとも青年隊が3人各自持たされている賞品箱を野々村真の大ファンだった為、毎回ハズレでもいいと野々村の箱を選んでいた。バラエティ番組で人気者となる。 *また、ものまねタレントでもあったため『ものまね王座決定戦』に出演していた当時はダチョウ倶楽部・笑福亭笑瓶・ピンクの電話と共に“ものまねお笑い四天王”とも呼ばれていた。 *ただし当初は、松居直美・松本明子・篠塚満由美と共に「ものまね女四天王」を結成していたが、わずか1年で斉藤ルミ子と交代し、「お笑い四天王」行きとなった。 *「お笑い」と冠されるだけあってものまね自体は決して似ているわけではないが、ノリと勢いで強引なまでに視聴者に見せつけるスタイルは一貫していた。『ものまね王座決定戦』ではほとんどが1回戦負けだったものの、1992年春「爆笑スター-」放送で、中山美穂の『Rosa』を披露した際は場内の大爆笑を巻き起こして勝利し(対戦相手はわたる哲平)、司会の研ナオコから「あんたはこの番組に必要!」と言わしめる程だった。しかし2回戦では菊池桃子の『Say Yes!』で番組史上初のワースト記録・80点をマーク、審査員席にいた菊池本人には6点を付けられ(隣の席のうつみ宮土理も6点)、研からは「お前のためにある6点だ!!」と言われた。なお対戦相手の松居直美の得点は満点(100点)だったため、これも番組史上最大点差を付けての勝敗決着となっている。 *1993年、浅草キッドの現場マネージャーが『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』で見染め、結婚のため芸能界を引退。その後、一児の母となる。 *2001年、“SHINOZAKI”名義で歌手として再デビュー。現在は芸能界を再度引退して専業主婦である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「しのざき美知」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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