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SSEC ( リダイレクト:Selective Sequence Electronic Calculator ) : ウィキペディア日本語版 | Selective Sequence Electronic Calculator SSEC(''Selective Sequence Electronic Calculator'')は、IBMが開発した電気機械式計算機である。設計は1944年末から始まり、1948年1月から1952年まで運用された。プログラム内蔵方式の多くの特徴を備え、世界で初めて命令をデータとして扱えるコンピュータといえるが、完全な電子式ではない。SSECはいくつかの用途で役立ったが、すぐに時代遅れとなった。史上最大で最後の電気機械式コンピュータであり、その最大の功績はIBMの名を世間に広めたことである。 == 歴史 == SSECは Harvard Mark I で虚仮にされたIBMが威信をかけて開発した計算機であり、大規模なものとしては最後の電気機械式計算機である。プログラム内蔵式コンピュータだが、完全に電子化されてはいない。開発責任者はウォレス・エッカート。完成後、ニューヨークのIBM本社ビルの一階ショールームに設置され、道行く人々からその動作する様子が見えるようになっていた。公式なデモンストレーションが行われたのは1948年1月27日である。1952年8月まで動作し、ショールームには新たにIBM 701が設置され、SSECは破棄されたという。 第二次世界大戦中、IBMはハーバード大学のハワード・エイケンの Automatic Sequence Controlled Calculator (ASCC) 構築を支援していた。このマシンは1944年8月に正式に納入され、一般には Harvard Mark I の名で知られている。IBM社長トーマス・J・ワトソンは、エイケンが報道機関への発表でIBMの貢献について全く言及しなかったことに怒った。ワトソンとエイケンはその後袂を分かち、IBMは独自により大型で目立つ機械を作るプロジェクトを開始した。コロンビア大学の天文学者ウォーレス・ジョン・エッカートが新たな機械の仕様を提供した。プロジェクト予算は約100万ドルで、当時としては莫大である。ASCCと同様、フランシス・ハミルトン (1898–1972) が構築を指揮した。ハーバード大学からロバート・R・シーバー・ジュニアが雇われ、新たなマシンのチーフアーキテクトとなった。1945年12月に基本設計が完成すると、エンディコットのIBMの工場でジョン・マクファーソンの指揮でモジュールの製造が始まった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「Selective Sequence Electronic Calculator」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 IBM SSEC 」があります。
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