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SWS : ウィキペディア日本語版
SWS[えす だぶりゅー えす]

SWS(エス・ダブリュー・エス、スーパー・ワールド・スポーツ)は、メガネスーパースポンサーとなり、天龍源一郎を核に全日本プロレス新日本プロレスなどから選手を集めて作られた日本プロレス団体。シンボルマークは恐竜。
== 概要 ==
メガネスーパーの豊富な資金を元に既存プロレス団体から選手を引き抜きを行い団体を作り上げ『黒船』としてプロレス界に激震を引き起こした。1989年にアメリカのWCWに参戦していたグレート・ムタ武藤敬司)とマネージャー若松市政、さらにケンドー・ナガサキらにアプローチしていた〔『週刊プロレス SUPECIAL』日本プロレス事件史 Vol.8 移籍・引き抜き興行戦争 pp22 - 27 「SWSに走った天龍は、全日本から選手を引き抜いたのか?」(文:小佐野景浩)〕。ムタの獲得はかなわなかったが若松は後に入団。1990年に入ると新日本プロレスからの引き抜きを開始〔、同年4月には全日本プロレスを退団した天龍源一郎を獲得する。さらに当時全日本が提示した複数年契約に難色を示したグループもSWSに相次ぎ移籍〔、結果新日本と全日本から多くの選手を引き抜いたような体勢となった。それまでのプロレス団体とは違い、選手にかなりの高給を支払っていたことでも知られる。特にトップの天龍源一郎は、当時トップクラスのプロ野球選手落合博満並みの年俸だったとも言われる〔『SWSプロレス激闘史』pp085〕。
旗揚げ戦は、1990年9月29日、天龍の出身地である福井県福井市体育館にて『越前闘会始』のタイトルでプレ旗揚げ戦が行われ、同年10月9日10月10日の2日間、神奈川県横浜アリーナにて『闘会始'90』のタイトルで正式な旗揚げ戦が行われた〔スポーツアルバムN0.52 天龍源一郎引退記念特別号 上巻 pp64 - 66 「悲憤のSと一筋の光明」〕。旗揚げ戦はテレビ中継され、木村匡也がラジオのDJ口調で実況した。1991年3月から1992年3月までWOWOWが月1回のペースで放映した。
相撲にちなんだ部屋別制度を採用。大相撲出身の天龍ならではのアイデアと言える。この部屋同士の対抗戦をカード編成の主体とした。部屋として、天龍源一郎率いる『レボリューション』、若松市政率いる『道場「檄」』、ジョージ高野率いる『パライストラ』の3つが置かれた〔。しかし、その部屋別制度が派閥争いを招き、事実上の単独エースである天龍率いるレボリューションと、それ以外の部屋とで主導権争いが生じた〔。他にも、北尾光司の八百長発言などトラブルが続き、さらには興行の不振など、さまざまな問題から短期間で崩壊を迎えてしまう。
崩壊後は、引き続きメガネスーパーが一定期間スポンサーとなることを条件に、天龍を中心とした『レボリューション』所属選手主体のWARと反天龍派の『道場「檄」』、『パライストラ』所属選手主体のNOWの2つに分立した〔『SWSプロレス激闘史』pp023 - 047 「SWS激闘クロニクル1990-1992」〕。
団体としては短期間で崩壊してしまったが、それまで行われることがなかった、道場を解放しての道場マッチを低価格で開催したことや、新日本プロレスとの提携解消後、どの団体も実現しなかった、WWF(現:WWE)との提携でWWFのスター選手の招聘を実現するなど、短い期間の中でも特筆すべき活動をいくつか行っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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