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ようこう (第14号科学衛星SOLAR-A) は日本の旧文部省宇宙科学研究所(ISAS、現在の宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究本部)によって開発されたである。1991年8月30日に鹿児島県内之浦町(現肝付町)にある鹿児島宇宙空間観測所(現内之浦宇宙空間観測所)からM-3SIIロケットによって打ち上げられた。打ち上げ後、太陽の光を意味する「陽光」から「ようこう」と名付けられた。本来の衛星設計寿命よりも長く稼動し、2001年12月15日に姿勢制御を失って観測が中断されるまでの約10年間、太陽活動のほぼ1周期に渡って観測を行った。 == ミッションの概要 == ようこうは第22太陽活動極大期の太陽を観測する目的で開発され、打ち上げられた。実際に太陽活動が極大を迎えたのは1989年12月と考えられており、打ち上げはそれを少し過ぎた頃である。第22極大期に打ち上げられた太陽観測衛星は当機のみである。ISASは1980年代に「ひのとり」という太陽観測衛星を運用した経験があるが、当機ではその経験を生かし、かつ当時最高の太陽観測衛星を作り最大の理学的成果を得るために国内外との大規模な協力のもと計画がスタートした。開発期間は4年半であり、打ち上げは計画当初の予定通りに行われた。 衛星の寿命は3年を予定していたが、その後も観測機器は正常に動作したため、結果として10年3ヶ月にわたる観測を実現した。しかし長期運用による衛星の老朽化により、2000年秋頃から姿勢制御が困難となり始めた。 2001年12月15日、南太平洋上空で金環日食帯の中を通過するさい、セーフモードに移行する過程で衛星が異常な回転を始め、太陽を向かなくなった。そのため太陽電池の発電量が落ち、蓄電池の充電量が減少して観測装置が停止した。その後、観測能力回復のために手が尽くされたが、2004年4月末に衛星からの電波送信を停止する措置を取り、運用を終了した。 2005年9月12日、日本時間の18時16分頃、南アジア上空から大気圏に突入、地上には到達することなく燃え尽きて消滅した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ようこう」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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