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TBSビデオ問題(TBSビデオもんだい)は、1989年10月26日に、TBSのワイドショー番組『3時にあいましょう』のスタッフが、弁護士の坂本堤がオウム真理教を批判するインタビュー映像を放送前にオウム真理教幹部に見せたことで、9日後の11月4日に起きた坂本堤弁護士一家殺害事件の発端となったとされる事件であり、TBSが引き起こしたマスコミ不祥事・報道被害である。 TBSオウムビデオ問題、オウムビデオ問題、TBSオウム問題、TBS問題などとも呼ばれる。問題を事件に置き換えた表記もある〔単にTBS事件といえばTBS成田事件を指すことが多いため注意が必要である。〕。 == 経過 == === インタビューとビデオ視聴 === 1989年10月26日、オウム真理教について翌日27日の放送で取り上げることを企画していた『3時にあいましょう』は、26日午前中にオウム真理教批判の急先鋒であった坂本のインタビューを録画。同日昼、金曜日担当プロデューサーの武市功率いる取材班(社会情報局)は、オウム真理教富士山道場にて報道局社会部と合同で麻原彰晃(松本智津夫)による「水中クンバカ」の実演を取材。TBS報道局の西野哲史記者によるインタビューが終了後、『3時にあいましょう』取材班のインタビューが開始するも紛糾。武市は坂本のインタビューを麻原の実演の様子と一緒に放送することをオウム側に明らかにし、その上でオウム側に事前にビデオを見せることを提案し、その場の事態を収拾する。 オウム真理教の幹部、早川紀代秀、上祐史浩、青山吉伸らが26日の深夜、TBS(当時の千代田分室)を訪れ、インタビューが収録されているビデオを見せることを執拗に要求。番組総合プロデューサーの多良寛則が、部下にインタビューを収録した当該ビデオを3人に見せるよう指示し、3人はビデオを視聴。早川はこのときのことをメモにとっている。結局、オウム側の抗議にTBS側スタッフはインタビュー(企画していたオウム特集自体)を放送しないことを承諾・約束し、オウム側幹部はその場を後にする。 31日に早川、上祐、青山ら3人は、坂本が所属する横浜法律事務所を訪れたが、坂本からは教団を告訴する旨を告げられ交渉は決裂。4日後の11月4日、坂本堤弁護士一家殺害事件(当時は「失踪事件」)が発生する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「TBSビデオ問題」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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