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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
赤坂メディアビル(あかさかメディアビル)は、1961年から2003年まで東京都港区赤坂5丁目に立地し、TBS(当時の株式会社東京放送)が所有していたビルで、1994年以降同ビルに対して使用されていた名称である。1994年までは通称「TBS本館」と呼ばれ、本社オフィス・ラジオスタジオ・TBSホールなどを擁していた。後述のテレビ局舎と併せて、TBSにとっては2代目の社屋となる。 ここでは北隣にあったTBS会館についてもあわせて記述する。 == 歴史 == テレビ放送に進出することになったラジオ東京(現在の東京放送ホールディングス・TBSテレビ・TBSラジオ&コミュニケーションズの3社)は、港区赤坂一ツ木町(赤坂5丁目)に敷地を確保し、テレビスタジオと高さ174メートルもの鉄塔を建設し(通称:テレビ局舎)、1955年にテレビ放送を開始した。その後東京タワーの完成で送信用鉄塔が不要となり、その用地を利用する形で都内数ヵ所に分散していた会社の機能を赤坂に集中させるため、テレビ局舎の東側に位置し、一ツ木通りに面した場所にTBSの本館ビルを建設し1961年に完成した。 新築されたTBS本館ビルには、大小9つのラジオスタジオと公開番組などを想定したTBSホールが設置され、関東もしくは全国に向けてここから数々のラジオ番組が発信された。当時TBSのラジオ部門は旧ラジオ東京本社以来の流れで東京・有楽町の毎日新聞東京本社新館に入居していた(つまりTBSにとっては初代社屋だった)が、同年10月から2ヶ月かけて移転。赤坂に念願の総合社屋が完成したわけである。 1970年代に入るとTBSラジオの編成において生ワイド番組の比重が高まり、長時間の生放送に対応しうるスタジオとして、1976年に「パノラマスタジオ」、1985年には「レインボースタジオ」がそれぞれ新設された。 やがてテレビ局舎の老朽化などにより、テレビ局舎の西側に20階建てのTBS放送センター(3代目社屋・通称:TBSビッグハット)を建設。1994年10月2日深夜1時過ぎ(3日午前1時過ぎ)をもって本館ビルのすべてのラジオスタジオの運用を停止し、放送センターの8・9階に全面移転した。 本館ビルはその後「赤坂メディアビル」と名称を変え、ラジオの放送設備を撤去した上で、事業部や関連会社のオフィスビルとして引き続き運用し、1998年頃にはメディアビルの1階に「The TBS store(TBSストア)」が開店。番組関連グッズや所属アナウンサーのテレホンカードなどを販売するようになった。そんなメディアビルも築40年が過ぎて老朽化が進み、かねてからTBSが計画していた再開発構想がまとまったこともあって、2003年3月に閉鎖・解体された。メディアビルやTBS会館・旧テレビ局舎などの跡地は、2008年に赤坂サカスに生まれ変わった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「赤坂メディアビル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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