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TBSラジオ平日夜ワイド番組とは、TBSラジオが平日の夜にかつて、または現在放送している放送枠の総称である。この記事では、2001年(平成13年)10月1日の現社TBSラジオ&コミュニケーションズ設立後と、それ以前のラジオ・テレビ兼営局東京放送の時代、およびTBSを中心にした在京AM3局の夜ワイド時間帯の歴史を合わせて説明する。 == 歴史 == 朝日放送(ABCラジオ)による日本の民放ラジオ界初の若者向け夜ワイド『ABCヤングリクエスト』(1966年スタート)に続き、関東でも文化放送による在京AM局初の夜ワイド番組『みのもんたのワイドNo1』(1972年スタート)、ニッポン放送による若年層向け夜ワイド『大入りダイヤルまだ宵の口』(1975年スタート)がスタート。文化放送、ニッポン放送の成功を見たTBSは1976年(昭和51年)4月開始の『夜はともだち』で、在京民放としては最後発となる夜ワイドに参入した〔ただし、TBSでは「夜のオムニバスワイド」と銘打って生放送番組『ラジオでこんばんわ』を1974年4月から2年間放送した実績があるため、最後発ではないという解釈もある。〕。 『夜とも』は途中タイトル、パーソナリティが3回変わったが、トータル6年半とある程度長く続いた。『夜とも』末期の1981年(昭和56年)4月改編では、テレビの『ザ・ベストテン』との兼ね合いで出演できなかった松宮一彦に代えて木曜日のパーソナリティに小堺一機と関根勤(当時の芸名はラビット関根)を組ませ、「コサラビ(その後関根の改名に伴い「コサキン」となる)」として売り出しその後28年間に渡った2人の共演番組の源流を作った。 文化放送では1980年(昭和55年)10月に『吉田照美のてるてるワイド』を開始。ニッポン放送では1984年(昭和59年)2月、『ヤングパラダイス』に三宅裕司を起用。『夜とも』はこの2番組による熾烈な争いに埋没した形となって打ち切りとなり、その後暫く同枠の番組は『るんるんナイト ワオ!』から『進め!おもしろバホバホ隊』まで、短命に終わった。 1986年(昭和61年)10月改編では『ハローナイト』をスタートさせて大人向け路線に転換するも、後継の『ロンペーの夜に乾杯』と共に失敗に終わった。こうして1990年(平成2年)10月改編の『岸谷五朗の東京RADIO CLUB』で再びTBSラジオの夜枠は若者向け路線に戻る(なお、この頃TBSラジオは月 - 土曜の夜に放送される若者向け番組枠を『TBS RADIO 2(TBSレディオクラブ)』と銘打っている)。『東京RADIO CLUB』では、文化放送が『今夜もBREAK OUT ラジオバカナリヤ』→『キッチュ!夜マゲドンの奇蹟』でコアなリスナー層を狙ったこともあって1980年代を通じた長期低落傾向に歯止めをかけることができたが、パーソナリティであった岸谷五朗が俳優として大ブレイクしてしまい、スケジュールの都合上金曜日の放送を恵俊彰と今田耕司に任せるようになり、岸谷の「役者に専念したい」という意向を受けて1994年(平成6年)10月改編で終了した。 後番組の『恋する電リクBINGO BONGO』は低迷。ところが1995年(平成7年)4月、『Oh!デカ』が伊集院光とニッポン放送幹部との確執で打ち切りになるという知らせがあり、TBSは伊集院を自社パーソナリティ陣に迎えようとする。しかし伊集院の新たなレギュラー番組『伊集院光 深夜の馬鹿力』は後続となる深夜1時からの枠(『UP'S〜Ultra Performer'S radio〜』)での放送に決まり、しかも次の改編期となる10月からという事ですぐにはスタートできなかった。この結果、TBSはこの枠での巻き返しの機会を逸し、結局『BINGO BONGO』はわずか1年で打ち切られてしまう。 その後を受けた『宮川賢の誰なんだお前は?!』も当初は低迷していたが、徐々に向上していき聴取率トップを奪取するも3年で終了。また、この頃から若年層のラジオ離れが進み、NHKが『ラジオ深夜便』(1991年スタート)で大人(とりわけ中高年)世代を固め、新たなリスナー層の開拓にも成功して時間帯聴取率とシェアの両面でトップに躍り出た。この結果を前に、TBS社内では「夜10時台は誰のものか」という議論が行われ、最終的に「ニッポン放送、文化放送と同じジャンルの番組をこのままやり続けていたのではTBSラジオの夜枠に未来はない」と判断。『誰おま』を最後に若者向けから完全に撤退。再び大人向け路線へと舵を切る事を決めた。 相手をNHK-R1に絞り込むという大胆な政策転換で真っ向勝負を挑むことになったTBSは、新たな夜ワイド番組の立ち上げにあたって、『ハローナイト』『夜に乾杯』の経験を生かしつつ、「『深夜便』が成功した今、民放だからこそできること」を考え、裏番組でNHK-R1のメインニュースショーともいえる『NHKジャーナル』よりもオピニオン色の強い報道系番組をぶつけるという企画を打ち出した。こうして生まれたのが報道討論番組『BATTLE TALK RADIO アクセス』である。アクセスが始まったことによってTBSラジオは10数年ぶりに1%を超す聴取率を獲得することができたが、しかしその発表があった次の期間の調査では0.6%と前回を大きく下回ってしまったりと必ずしも安定しておらず、その後も民放トップは獲得するものの、全体ではNHK-R1に次いで第2位といった程度の状態が続いていた。 『アクセス』は2010年(平成22年)4月2日の放送をもって11年半の放送に幕を閉じた。前述のラジオ離れに加え、長引く不況下でスポンサーが少なく企業的に採算を確保できない中で、リーマン・ショックによる企業の広告費削減やスポンサー離れの影響をもろに受けたことが原因で、電話受付を取りやめてtwitterに切り替えるなどより採算性を重視した形で、後継番組となる『ニュース探究ラジオ Dig』が立ち上げられた〔「Dig」2010年8月27日放送分より。〕。『Dig』の立ち上げの様子を撮影したドキュメンタリー番組がWOWOWで放送される〔2010年6月放送『ノンフィクションW 進化するラジオ~言葉がつなげる世界』〕など、関係者の気合は充分だったものの、出演者のひとりで当時局アナだった竹内香苗がテレビ『はなまるマーケット』出演等の影響で1年半で降板(同時に水野真裕美アナも)。この時は後輩アナの江藤愛を起用して急場をしのぐ。2012年秋、竹内がTBSを退社し、担当番組の多くを引き継いだ江藤に大きな負担がかかってしまう。結果として、進行役を務めた女性アナウンサーの動向に左右された上にスタッフの交代も重なり、『Dig』は2013年3月いっぱいで終了。『Dig』に出演していた荻上チキをメインパーソナリティに据え、2013年4月より『荻上チキ・Session-22』をスタートさせ、現在に至る。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「TBSラジオ平日夜ワイド番組」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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