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谷繁 元信(たにしげ もとのぶ、1970年12月21日 - )は、元プロ野球選手(捕手)、中日ドラゴンズ監督(第31代)。2014年シーズンより選手兼任監督を務める。2016年シーズンより監督専任となる。 1990年代以降のプロ野球を代表する捕手として活躍し、南海ホークスなどで活躍した野村克也の通算試合数を抜きプロ野球歴代1位の記録を持つ。また、連続シーズン安打・本塁打記録(27年)の保有者でもある〔中日谷繁が27年連続安打&本塁打 NPB記録更新 - 野球 : (日刊スポーツ 2015年5月4日17時15分)〕〔谷繁兼任監督、出た!日本記録更新の27年連続安打&本塁打! - スポニチアネックス(2015年5月4日 15:37)〕。 == 経歴 == === プロ入り前 === 山深い中国山地の広島県比婆郡東城町(現・庄原市)出身。野球好きの父の影響で小学校2年生時に地元の少年野球チームに入り野球を始める。子どもの頃は巨人ファンで、原辰徳に憧れていたという。 小学6年時にすでに広島県内の野球関係者に谷繁の名は知れ渡っていたというが、事情により高校は島根県江津市の江の川高等学校(現・石見智翠館高等学校)に進学する(後述)。投手として入部するも練習試合でよく打たれ、1ヶ月後には監督に捕手転向を命じられる。 夏の甲子園に2度出場。特に1988年夏には島根県予選で、5試合全ての試合で計7本塁打を放ち、甲子園大会でもベスト8に進出。高校通算で42本の本塁打を放ち、強打の捕手として江藤智とともに「東の江藤、西の谷繁」と呼ばれた。 1988年のドラフト会議で横浜大洋ホエールズが1位指名で交渉権を獲得し、契約金5800万円、年俸480万円(金額は推定)で入団合意した〔『朝日新聞』1988年12月10日付朝刊 (14版、23面)〕。大洋球団は期待を込めて、チームの看板選手で、前年に引退した山下大輔が付けていた背番号1を与えた。地元の広島東洋カープからも熱心に誘われていたが、カープのドラフト1位指名は野村謙二郎であった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「谷繁元信」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Motonobu Tanishige 」があります。 スポンサード リンク
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