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ユナイテッド・ナショナル・ヘビー級王座(ユナイテッド・ナショナル・ヘビーきゅうおうざ)は、かつてNWAが認定、日本プロレスが管理し、後に全日本プロレスに管理権が移ったプロレスの王座である。UNヘビー級王座の略称で表記・呼称される。 現在は三冠ヘビー級王座を構成するチャンピオンシップの一つである。 == 概要 == この王座は1970年8月にNWA本部がメキシコ、カナダ、アメリカの3国で通用する国際タイトルとして新設した。新設時からアントニオ猪木に奪取されたジョン・トロスまでの変遷については、プロレス雑誌でも諸説がある。 1971年3月26日にアメリカ・ロサンゼルスのオリンピック・オーディトリアムでアントニオ猪木がジョン・トロスを破って王座を獲得して日本に持ち込みほぼ定着する。猪木はUNヘビーを獲得したことで、当時インターナショナル・ヘビー級王者であったジャイアント馬場に対抗するはずであったが〔猪木は馬場への挑戦時に、「インター王者とUN王者はどちらが強いのかファンの前に明確にすべき」との論法を用いている。〕、猪木が日本プロレスを除名されるとともにベルトはNWA本部へ返還された。その後坂口征二が王者となり延べ1年にわたり保持、その坂口が日本プロレス離脱後には高千穂明久が王者となった〔高千穂が王座を奪取した試合は、日本プロレスという団体自体の、テレビ中継最後の試合でもあった。〕が、間もなく日本プロレスが崩壊、王座は休眠状態になった。 1976年に全日本プロレスの要請で王座が復活し〔復活当初は「NWAが認定し、日本プロレスが管理」するタイトルという位置付けだった。1976年8月28日に行われた復活王座決定戦では、日本プロレス(会社組織としては、まだ存在していた)の代表であった芳の里淳三がタイトルマッチ宣言を行い、その旨にも言及している。その後、王座は「NWAが認可し、PWFが認定する」形態に移行。〕、以降同団体に定着する。ジャンボ鶴田が王者になったが、タイトルの格はPWFヘビー級王座より下とされていた。その鶴田も5度目の王座獲得後、インター王座獲得に専念する為に王座を返上してしまい、全日本におけるタイトルの格は3番目ということになってしまった。その後、天龍源一郎が長きにわたってベルトを保持し、天龍の代名詞といわれるまでになった。 1989年4月18日にジャンボ鶴田が本王座・PWF王座・インター王座の三冠を統一してからは、三冠ヘビー級王座のベルトの一本として定着する。 ZERO1にて現在のNWAが認定するNWAユナイテッド・ナショナル・ヘビー級王座というタイトルが存在しているが、上記の王座とは無関係である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ユナイテッド・ナショナル・ヘビー級王座」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 NWA United National Championship 」があります。 スポンサード リンク
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