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USSコンスティチューション対HMSゲリエール()は、米英戦争初期の1812年8月19日に、ノバスコシア州ハリファックスの南東約400マイル (640 km) で起きた米英艦船の1騎討ちである。まだ開戦間もない時期に起こり、アメリカ海軍が勝利したことでアメリカ国内の士気を上げるために大きな効果があった。 == 背景 == 1812年6月12日にアメリカ合衆国がイギリスに対して宣戦布告したとき、イギリス海軍はアメリカ海域に85隻の艦船を持っていた。対照的にアメリカ海軍はまだ20年の歴史しかなく、就役している艦船は22隻のみのフリゲート海軍だった。アメリカ海軍の主戦力は、ニューヨークを本拠地とし、ジョン・ロジャーズ海軍准将が指揮する3隻のフリゲート艦と2隻にスループ・オブ・ウォーで構成する戦隊だった。アメリカ合衆国議会が宣戦布告してから1週間後、海軍長官のポール・ハミルトンは、ロジャーズにニューヨーク沖を巡航させる命令を出し、チェサピーク湾のアナポリスにいたUSS''コンスティチューション''のアイザック・ハル艦長にはロジャーズ戦隊に合流するよう命令した。 しかし、ロジャーズは宣戦布告の報せを聞いた直後に出港し、ハミルトンの指示を受け取ってはいなかった。出港が遅れた場合は優秀なイギリス艦隊に海上封鎖される可能性を恐れたが、直ぐに出港することでイギリス艦隊が集結する前に孤立したイギリス艦船を捕まえられる可能性もあった〔Forester, pp. 18–20〕。実際にイギリス海軍のHMS''ベルビデラ''と遭遇したが、''ベルビデラ''は逃亡し、しかも乗艦していたUSS''プレジデント''の大砲が暴発して、ロジャーズは負傷し、艦に大きな損傷と混乱が生じた。その後ロジャーズは大西洋を横切って、西インド諸島から戻る価値あるイギリス船団を捕まえることを期待していた。この航海の間天候が荒れ、ロジャーズは船団を見つけることができず、7隻の小さな商船を捕まえたに過ぎなかった〔Forester, pp. 26–28〕。 ノバスコシア州ハリファックスを本拠とするイギリス海軍の北アメリカ戦隊指揮官ハーバート・ソーヤー中将は、''ベルビデラ''が敵艦と遭遇した話を聞くと、フィリップ・ボウズ・ベア・ブローク海軍大佐の指揮する戦隊を派遣し、ロジャーズの船隊を捕まえることにした。ブロークの船隊は大砲64門搭載の戦列艦HMS''アフリカ''と、フリゲート艦のHMS''シャノン''、HMS''イーオラス''、HMS''ベルビデラ''、HMS''ゲリエール''で構成されていた〔Borneman p. 82〕。ロジャーズはイギリス海軍の戦力を1か所に集中させることで、数多くのアメリカ商船が邪魔されることなく別の港に到達させることを可能にさせていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「USSコンスティチューション対HMSゲリエール」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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