|
スルプスカ共和国軍(セルビア語:)、あるいはボスニア・ヘルツェゴビナ・セルビア人軍は、ボスニア・ヘルツェゴビナのうちセルビア人を主体とするスルプスカ共和国の軍。2003年からボスニア・ヘルツェゴビナ連邦軍との統合が進められはじめた。2005年、完全に統合されたセルビア人、クロアチア人、そしてボシュニャク人の民族混成の部隊がイラクに派遣された。2006年6月6日、スルプスカ共和国軍とボスニア・ヘルツェゴビナ連邦軍はボスニア・ヘルツェゴビナ軍に統合され、ボスニア・ヘルツェゴビナ中央政府国防省の指揮下に置かれることとなった。 == 歴史 == スルプスカ共和国は1992年5月12日、ボスニア・ヘルツェゴビナに駐留していたユーゴスラビア人民軍(JNA)の撤退に伴って、創設された。スルプスカ共和国は、ボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人の利益を代表して一方的にボスニア・ヘルツェゴビナから分離した国家であり、スルプスカ共和国軍はスルプスカ共和国の軍隊として創設された。スルプスカ共和国軍はボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中、8万人の兵士がいた。 スルプスカ共和国軍の兵士のほとんどは、ボスニア・ヘルツェゴビナ領内で集められた正教徒のセルビア人であった。また、スルプスカ共和国側で戦う武装組織には、スルプスカ共和国軍のほかにも多数の準軍事組織や、セルビアのセルビア人やロシア人などの義勇兵、民兵組織があった。これらの非正規部隊は、スルプスカ共和国軍とともにボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を戦い、第二次世界大戦以降で最悪といわれるスレブレニツァの虐殺をはじめとする戦争犯罪に加担した者もいた。 スルプスカ共和国軍には、少数ながらボシュニャク人の兵士もいた。その多くはテスリチ(Teslić)やデルヴェンタ(Derventa)出身であった(少佐イスメト・ジュヘリッチ Ismet Đuherićと、ジュヘリッチ率いるメシャ・セリモヴィッチ Meša Selimović中隊)。 スルプスカ共和国軍はハーグの国際司法裁判所(ICJ)によって、ボシュニャク人やボスニアのクロアチア人に対する戦争犯罪ならびにジェノサイドに加担した機関であると裁定された。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中のスルプスカ共和国軍の参謀総長であったラトコ・ムラディッチは、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷によってジェノサイドなどの罪で訴追され、2011年5月26日にセルビア共和国にて拘束された事実がボリス・タディッチセルビア大統領により発表された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スルプスカ共和国軍」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Army of Republika Srpska 」があります。 スポンサード リンク
|