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World Wide Web Consortium(ワールド・ワイド・ウェブ・コンソーシアム)は、World Wide Webで使用される各種技術の標準化を推進する為に設立された標準化団体、非営利団体。略称はW3C(ダブリュースリーシー)。 ティム・バーナーズ=リーが創設し、率いている〔 〕。このコンソーシアムには企業や団体が会員として加入し、専任スタッフと共にWorld Wide Webの標準策定を行っている。2014年1月26日現在、388の組織が会員として加入している〔。 W3Cはまた教育活動も行っており、ソフトウェアを開発してWebに関するオープンな議論の場を提供している。 HTML、XML、MathML、DOM等の規格を勧告。HTMLは、従来IETFでRFCとして標準化されていたが、HTML 3.2以降はW3Cへと引き継がれた。 XHTMLの規格に不満を持った企業等はW3Cに対抗するWHATWGという対抗団体を立ち上げているが、両団体はHTML5の策定にあたって協力関係にあり、WHATWGによって2004年に定められたWeb Applications 1.0にWeb Forms 2.0を取り入れたものがW3Cの専門委員会に採用され、W3Cより2008年1月22日にドラフト(草案)が発表された。 == 歴史 == World Wide Web Consortium の設立は、今日のインターネットの基礎技術を確立しそれを無償で公開したティム・バーナーズ=リーの努力によるところが大きい。彼は、欧州原子核研究機構(CERN)における中心的な活動にも係わってきた。 彼がスイスのCERNに勤めていた時、研究論文の膨大な蓄積のため、目的の文書を探すのに苦労していた。そこで、彼は文書から文書へ飛べる仕組みを開発した。これがハイパーリンクである。その後の1989年、グローバルハイパーテキストプロジェクトが始動した。 1993年にMosaicが開発されると、それがどんどん売れていった。それから、ブラウザ開発者たちが次々と新しいタグを導入していき、Webページ開発者は苦労し始めた。そのため、タグを標準化する必要性があると感じ、W3Cの設立へと流れていった。 World Wide Web Consortium (W3C) は、CERNを離れたティム・バーナーズ=リーが1994年10月1日に創設した。場所はMITコンピュータ科学研究所 (MIT/LCS) の中で、欧州委員会とインターネットの生みの親でもある国防高等研究計画局 (DARPA) が資金援助した。 W3Cは、業界の会員が新たな標準に合意し、互換性を確保することを目的として生まれた。 もともと、W3Cのヨーロッパ支部はCERNが担うことが期待されていたが、CERNは本来の量子物理学に注力したいということで辞退している。1995年4月、フランス国立情報学自動制御研究所(INRIA)がW3Cヨーロッパ支部を担うことになり、1996年9月、慶應義塾大学が日本支部を担うことになった。1997年以降、W3Cは世界中に支部を設立している。2009年9月現在、18の支部があり、オーストラリア、ベネルクス(オランダ、ルクセンブルク、ベルギー)、ブラジル、中国、フィンランド、ドイツとオーストリア、ギリシャ、香港、ハンガリー、インド、イスラエル、イタリア、大韓民国、スペイン、スウェーデン、イギリスとアイルランドという地域をカバーしている〔 〕。 2003年1月、ヨーロッパ支部はINRIAから欧州情報処理数学研究コンソーシアム(ERCIM)に移管された。ERCIMはヨーロッパの国立計算機科学研究所とでもいうべき組織である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「World Wide Web Consortium」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 World Wide Web Consortium 」があります。 スポンサード リンク
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