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WCW世界ヘビー級王座(WCW World Heavyweight Championship)は、かつてのプロレス団体WCWの王座の一つ。一時期はWWF(現:WWE)の王座の一つでもあった。2001年12月9日にWWE王座に統一されるものの、2002年にWWE・世界ヘビー級王座として復活。 == 歴史 == 当時NWA王者だったリック・フレアーが1991年3月21日に東京ドームで藤波辰爾と王座戦を行い藤波が3カウントを取った。WCWの用意したシナリオでは、本国のルールにより、3カウント前のオーバー・ザ・トップロープによる反則負け=フレアーの王座防衛の予定だったが、新日本プロレス側が納得せず、またWCWも王座移動を認めなかったため〔こうした事情からWCW側は、関係者がNWA世界ヘビー級王座のベルトを東京から本国アメリカに持ち帰ってしまい、後日の本国向けのテレビ中継にて藤波の“王座奪取”の映像を流しながらも『オーバー・ザ・トップロープがあったため、王座移動は認められない』との公式見解を示した(無論、新日本プロレス側は承服せず、ベルトが手元にない状態ながら、選手コールの度に藤波を「NWA世界ヘビー級チャンピオン」と紹介し続けた)。そして1991年5月19日にアメリカ・フロリダ州セントピーターズバーグでWCWが開催した「スーパー・ブロウル」において、『WCWチャンピオンはどちらか』と銘打ち、“NWA王者”フレアーと“IWGP王者”藤波との再戦を挙行、こちらはフレアーが雪辱を果たした。〕〔一方で当時、アメリカのスポーツ新聞「ナショナル」(現在は廃刊)は、この東京ドームのタイトル戦について「藤波がNWA王座を奪取」と報道、同紙は「藤波の戴冠でNWA王座は、よりインターナショナルなものになった」とも伝えたという(当時の東京スポーツより)。〕、藤波がNWA王者に、フレアーがWCW王座を防衛という形で王座が分裂し、WCW王座が誕生した。その後は、WWF王座と双璧を担う存在となり、多数のレスラー達によって争われた。しかし、フィンガーポーク・オブ・ドゥームをきっかけにWCW王座の価値が落ち始めた。特にWCW後期になっていくと、レスラーではない、俳優のデヴィッド・アークエットや脚本家のビンス・ルッソーが王座を獲得したり、毎週のように王座が移動するなど、価値が没落していき、挙句の果てには、ナイトロの最終回では、メイン戦でなく、第一試合に行うまでに価値がさがり、完全にWWE王座と差がつけられている。2001年にWCW崩壊、その後はWWFのタイトルになった。同年12月9日に消滅した。2002年にWWE・世界ヘビー級王座として復活するが、2013年にWWE王座と統一し、再び消滅した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「WCW世界ヘビー級王座」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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