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WFDA世界マーシャルアーツ王座(ダブリューエフティーエーせかいマーシャルアーツおうざ)は、かつてFMWが管理し、WFDA(WWA・FMW・DILAアソシエーション)が認定していた王座である。 FMWのシングル王座(ジュニアヘビー級を除く)としては、WWA世界ブラスナックル王座を事実上引き継いだものであり、また、世界ブラスナックル王座が後身に当たる。 == 来歴 == 1991年2月、FMWは、WWAと、ソビエト連邦のプロ格闘技組織・DILAとの共同による新たなタイトル管理組織「WFDA(WWA・FMW・DILAアソシエーション)」を設立。同2月27日、FMWのエースであった大仁田厚と、予てから大仁田とのタイトルマッチを希望していたDILAのエース格の柔道家、グリゴリー・ベリチェフとによる対決を、WFDAが新設した「世界マーシャルアーツ選手権」の初代王座決定戦として行う。既にFMWマットで無頼の強さを発揮していたベリチェフは、ここでも難なく大仁田をほふり、初代王者となる。 大仁田は同年5月29日、古傷の膝を故障したうえ肩も脱臼するという満身創痍の状態ながらも、サンダー・ファイヤー・パワーボムからの10カウントKOでベリチェフに雪辱を果たし、第2代王者となる。この王座奪取を、東京スポーツと内外タイムスは共に、『大仁田は人間ではない、トウカイテイオーだ』というニュアンスの見出しを付けて、大きく報じている。 その後、当王座は、成長著しかったビッグ・タイトン、FMW在籍時で唯一のシングル王座獲得となったターザン後藤、そしてFMWの異種格闘技路線の新たな壁となったレオン・スピンクスへと渡る。このように当初は、FMWの特色のひとつだった異種格闘技戦を軸にした王座だったが、1992年5月24日に「異種格闘技ノーロープ金網デスマッチ」〔このとき使われた金網は、1991年9月23日に行われた「ノーロープ有刺鉄線金網電流爆破デスマッチ」で採用したものから有刺鉄線を除いた状態のもので、いわばWWEでの「スチール・ケージ・マッチ」で使われた金網に近い、網目の広いものだった。〕でスピンクスを破り再び王座に返り咲いた大仁田は、その試合後に「異種格闘技戦は(今後)メインでは行わない」との発言を行う。 現実にその後のFMWは、大仁田を始めとする「FMW正規軍」と、ザ・シークが率いた「シーク軍団」との抗争が主軸となり、徐々にデスマッチ路線へと一本化。旗揚げ当初に掲げていた「総合格闘技団体」の色が薄まっていった。 さらに、「シーク軍団」の隠し玉的存在として、タイガー・ジェット・シンがFMWに参戦。そのシンに当時王者だったシークから、独断でベルトが“譲渡”されるという異例の事態も起きたが、奪還を期して大仁田が、1992年9月19日に「ノーロープ有刺鉄線電流爆破地雷デスマッチ」でシンに挑戦、三たび王座に復帰した。 1993年8月、新たにFMW認定による「世界ブラスナックル王座」が設けられたのに伴い、当王座は表舞台から姿を消した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「WFDA世界マーシャルアーツ王座」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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