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YXXは日本の民間輸送機(旅客機)計画のひとつ。ボーイング767に発展したYXに続く計画で、アメリカ合衆国のボーイングとの共同開発によりボーイング7J7となった。YXよりも国内比率向上を目指したものの、完成に至らなかった。 == 計画経緯 == === ボーイング共同開発 === YXがアメリカ合衆国ボーイングとの共同開発(参加比率は15パーセントで実質下請け)になって以来、民間輸送機開発協会では適当なエンジンが見つからずに立ち消えになっていた「YS-33構想」を復活させようとの機運が高まり、1979年(昭和54)にローカル路線に使用できる100席クラスの小型輸送機を開発する計画が持ち上がった。これが後にYXXと呼ばれる計画である。 日本政府はボーイング767での実態を踏まえ、「YS-11の精神を引き継ぐ、日本独自の計画」として検討を開始した。だがこのころ、日本の自動車業界の急成長によって欧米の自動車会社が圧迫されており、特にアメリカでは対日貿易赤字が増大し続け、対日感情が悪化し始めている時期であった。 このYXX計画が公表されて間もなく、YX同様に国際共同開発の打診が日本にもたらされた。特にアメリカは、日本が自動車だけでなく、航空機にも本格的に参入してくることを恐れ、脅迫にも似た共同開発打診を行った。協会もYXのときと同じく海外へ調査団を派遣したが、調査によって130席以上の大型化が必要であるとされた。 1984年(昭和59)、幾多の変遷がありつつも、アメリカの対日感情悪化を恐れる日本政府に配慮する形で、日本航空機開発協会(JADC、1983年(昭和58)に民間輸送機開発協会が新明和工業と日本飛行機が加盟したことから改組)はボーイングが参加を打診した7J7を共同開発することを決定し、第一次了解覚書を交わした。このときに決定したYXX/7J7の概要は以下のとおりである。 * 座席数は147席から166席とする。 * ターボプロップエンジンより進歩したプロップファンエンジンを搭載した双発プロペラ機とする。 * 開発比率はボーイング75パーセント:日本25パーセントとする。 YXの分担比率15パーセントよりは向上したものの、25パーセントでは「日本独自の計画」とは言えない。姿形も、ボーイングの意向によって開発途上であるプロップファンを搭載するなど、当初のYS-33構想とも「日本独自の計画」とする当初の日本政府の意向とも、大きくかけ離れた計画となってしまった。このアメリカに屈する態度は、後に日本の防衛課題にアメリカが露骨に介入した次期支援戦闘機(FSX、後のF-2)にまで大きな影響を与えるものと成った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「YXX」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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