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YZR500 ( リダイレクト:ヤマハ・YZR500 ) : ウィキペディア日本語版 | ヤマハ・YZR500[わいぜっとあーるごひゃく]
ヤマハ・YZR500(ワイゼットアールごひゃく)は、ヤマハ発動機がオートバイロードレース世界選手権と全日本ロードレース選手権500ccクラスに開発・投入した、競技専用2輪車両(オートバイ)の車種名称。YZRとは、“Y”ヤマハの“Z”究極の“R”ロードレーサーの意味である。 ==概要== YZR500のモデルである0W70は、始動性が悪かった。当時のスタート時のエンジン始動は押しがけであったが、ダッチTT(オランダGP)において、ケニー・ロバーツは押しがけ17歩目にして、やっとYZR500に乗ることができた。それに対して、フレディ・スペンサーは5歩目でNS500に乗っていた。ケニーは予選でポール・ポジションを獲得していたのだが、9位にまで落ちてしまい、シェブロン・ブリッジを過ぎる時には16位にまで落ちていた〔『片山敬済の戦い - オランダGPの16ラップ』(P42 - P47)より。〕。YZR500の始動性の悪さについて、当時は、NS500の3気筒に比べてV形4気筒のエンジンレイアウトを持つYZRの特性によるもの、と言われていた〔『片山敬済の戦い - オランダGPの16ラップ』(P92)より。〕。一説に0W70がロータリーディスクバルブを採用していたのが原因だという〔『レーサーズ Vol.02』(三栄書房、2009年)ISBN 978-4-7796-0821-6(p.61)〕(NS500はリードバルブ)。K・ロバーツ(シニア)は予選で好位置を得ながらもスタートで後続に沈んでしまい、レコードを連発しながらも結局はトップに届かないレース展開が多かった。 1980年代後半からのホンダ・NSRとスズキ・RGV-Γとの熾烈な争いでは、エンジンパワーに優れ最高速重視のNSR、軽快な車体で強力なブレーキングを得意とするRGV-Γに対してYZRは優れたハンドリングによる高いコーナーリング性能を武器としていた。 ヤマハでは前年のYZRのスペックを反映した競技専門車TZをプライベートライダー向けに1980年から1983年に発売しており、YZR500の市販車とも言えるTZ500が存在する(価格は1983年型で280万円)。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヤマハ・YZR500」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Yamaha YZR500 」があります。
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