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反党グループ事件(はんとうグループじけん)は、1957年6月、ソビエト連邦において非スターリン化を進める最高指導者ニキータ・フルシチョフソ連共産党第一書記に対して党保守派幹部が起こした解任運動である。運動は失敗に終わり、彼ら反フルシチョフ派は一括して「反党グループ」と断罪され、党最高幹部の座から追放された。 == 事件の経緯 == 1953年3月、それまでソ連において絶対権力を振るってきたヨシフ・スターリンが死ぬと、共産党はゲオルギー・マレンコフ首相、ヴャチェスラフ・モロトフ外相、ラヴレンチー・ベリヤ内相、ラーザリ・カガノーヴィチ副首相、形式上の国家元首であるクリメント・ヴォロシーロフ最高会議幹部会議長、ニキータ・フルシチョフ筆頭書記(後に第一書記)、ニコライ・ブルガーニン国防相らの集団指導体制に変更された。彼らは党の最高意思決定機関である中央委員会のうち、さらに高位の幹部層から構成される幹部会のメンバーであった。 初めマレンコフがベリヤと組んで権勢を振るったが、次第に対立し、代わってフルシチョフと組んだ。しかし6月にベリヤが逮捕、処刑された後はフルシチョフが党内に影響力を拡大してゆく。フルシチョフは1955年2月にマレンコフを解任、旧知のブルガーニンを首相に据えた。さらに1956年2月、マレンコフ、モロトフ、カガノーヴィチの反対にもかかわらず、第20回党大会において反スターリン演説をおこなうなど、徐々に専権の度合いを深め、同僚たちとの対立を激化させていった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「反党グループ事件」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Anti-Party Group 」があります。 スポンサード リンク
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