|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 誰 : [だれ] 【名詞】 1. who ・ 誰か : [だれか] 【名詞】 1. (uk) someone 2. somebody
「誰かのために」プロジェクト(だれかのために プロジェクト)とは、AKB48および姉妹グループ(SKE48・NMB48・HKT48・SDN48)が2011年3月24日から展開しているチャリティー活動。 プロジェクト名は『チームA 3rd Stage「誰かのために」』にちなむもので、ある一ファンの提案により命名されたという。 == 沿革 == 2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震および福島第一原子力発電所事故(東日本大震災)が発生。 東京では震度5強を記録しAKB48劇場が被害を受け、また当時研究生だった岩田華怜〔震災発生当時宮城県仙台市に在住していた。2011年4月に上京、2012年3月24日に正規メンバー昇格。〕も被災し、“当たり前にやっていた事が実はそうではなかったと思い知らされた”〔プロジェクト発動当時の2011年4月6日のウェブページ より。震災一ヶ月のことで正式名称が確定する前だったため「東北関東大震災」と表記されている〕ことから、今後一年間、震災と向き合って活動することを決め〔「誰かのために」プロジェクト - AKB48公式サイト〕、手始めに同年3月14日から義援金募集を、沖縄国際映画祭や劇場公演で行い(AKB48プロジェクト)、さらに、震災前から予定されていた2011年3月25日 - 27日の横浜アリーナでのコンサートを中止した〔【お知らせ】 AKB48オフィシャルブログ 2011年3月14日付記事〕ものの、うち26、27両日については同会場を利用しチャリティーイベントを実施した。なお「誰かのために」プロジェクトと正式に命名されたのは、横浜アリーナでのチャリティイベントについて発表した時である〔「誰かのためにプロジェクト」 AKB48オフィシャルブログ 2011年3月24日付記事〕。 さらに「誰かのために -What can I do for someone?-」を配信シングルとしてダウンロード料と、シングル「Everyday、カチューシャ」、アルバム『ここにいたこと』以降リリースされるCD・DVDの売り上げの一部も義援金として拠出〔。 他に、メンバーが交代で、被災した各地を毎月1箇所ずつ慰問して回っている〔AKB48メンバー「応援しています」 岩手・大槌を訪問 - 河北新報 2011年5月23日(ウェブ魚拓)〕〔AKB48が被災地激励 宮城・南三陸、4曲披露 - 朝日新聞2011年7月9日〕〔AKB優子、篠田ら被災地訪問していた - 日刊スポーツ 2011年9月16日〕〔AKB48が慰問ミニライブを開催しました 大熊町ブログ 2013年9月25日〕(ウィングボディのトラックを移動ステージに使い、必要な機材も全て持参するので、1回につき6 - 7人が限界〔AKB、グループ全員246人被災地行く 支援活動を継続 - スポーツ報知2012年3月12日〕。スタッフも数人しか同行しないので、“自分のことは自分でやる”が鉄則になる)。他地域からファンが詰め掛けるのを防ぐため、公式サイトのスケジュールにも日時・場所・参加メンバーなど予定は一切掲載されず〔メンバーが個人ブログで“今日は大事なお仕事に行きます、詳しくは終わってから話しますね”などとそれとなくほのめかす事はある〕、訪問先自治体など関係機関にのみ通知される。ミニライブの様子は「DOCUMENTARY of AKB48」取材チームが映像収録し、NHKのみが報道の一環として『MUSIC JAPAN』(総合テレビジョンの音楽番組、2011年5月 - 2013年12月訪問分)〔NHK『MUSIC JAPAN』公式ブログ *前田敦子ソロでテレビ初登場!AKB被災地訪問も 2011年6月17日 *MJ班大忙しの巻 2011年9月30日 *AKB48「風は吹いている」特別版を放送 2011年10月29日〕→『AKB48 SHOW!』(BSプレミアムの音楽番組、2014年1月訪問分 - )〔NHK『AKB48 SHOW!』公式ブログ #20はSKE48名古屋ドームリポート! ヘビーローテーション1億回再生記念! 第33回目のAKB48被災地訪問 宮城県岩沼市編など 2011年6月17日 〕で公開している〔NHKのほか一部のメディア以外には訪問について事前通知しないので、民放やスポーツ紙に直接取材されることはほとんどないが、フジテレビ『情報プレゼンター とくダネ!』に2011年6月11日の宮古市訪問を偶然にキャッチされたことがあった。「AKB48」震災3か月で宮古ミニライブ― 高橋みなみや渡辺麻友ら6人 ジェイ・キャストテレビウォッチ2011年6月13日〕。 メンバーによる被災地復興支援の活動のため、Serendとのコラボレーション企画「つながれ母校選手権」を中止し、優勝校でのライブに使う予定であった予算を活動費に回した〔「つながれ母校選手権」中止のお知らせ (AKB48公式ブログ、2011年5月16日)〕。大島優子は仙台に親戚がいたこともあり、知人がトラックを手配して物資を届けに行くと聞くと「絶対に正体を明かさないから同行させて、手伝いたい」と頼み込んだり、秋元康総合プロデューサーに救援の為に現地入りさせてくれるよう懇願したという(“人気アイドルがボランティアしに行ったと知られたら現地が更に混乱する”と説得されて断念)〔月刊AKB48グループ新聞2012年3月号『大島優子×元ハイパーレスキュー隊長対談』取材後記〕。3年目となる25回目(2013年5月19日訪問)以降は、それまでのミニライブを中心とした活動から、訪問地の活性化につながる支援活動やPR活動も行うようになった〔第25回目被災地支援活動報告〜岩手県・宮古駅〜 (AKB48オフィシャルブログ、2013年05月20日)〕。 震災一周年の2012年3月11日、活動を“当分の間”継続することを発表〔AKB 風化させない! 慰問ライブ“無期限”続行 スポーツニッポン2012年3月12日〕。また、震災の発生した3月11日は偶然にも、メンバーの一人である篠田麻里子の誕生日でもあったことから、篠田は自身のブログで「これは私の生涯の使命。神様に指名されて、世の中の役に立てと言われているような気がします。」と述べている〔「一年」 - 篠田麻里子公式ブログ(2012年3月11日 ウェブアーカイブ)〕。 2012年4月14日、日本製紙クリネックススタジアム宮城で開催されたAKB48『「フライングゲット」「風は吹いている」全国握手会イベント東北エリア』において、宮城県、岩手県、福島県の東北3県に各10台ずつ贈呈されることが発表されていたマイクロバス「AKBus」が披露され、ステージ上で贈呈式も実施された〔AKB48、東北・仙台市で握手会イベントを開催! CDJournal.com 2012年4月16日付記事 〕。 震災二周年の2013年3月11日を前に、3月8日18:00(日本時間)から、震災復興応援ソング「掌が語ること」の無料配信を行なう〔AKB、「掌が語ること」無料世界配信で復興支援! スポーツ報知 2013年3月1日配信、同日閲覧。〕。11日当日は、AKB48グループのメンバー60人が6人ずつ10組に分かれて被災地を訪問。一グループで複数箇所を訪問することはあったが、初めて同時に複数箇所を訪問。またこの日から、プロジェクトシンボルマークの色が変わった(中央に描かれ、人々をつなぐ翼の生えたハートの色が、ピンクから黄色に)〔AKB48グループ「誰かのために」プロジェクト 3.11被災地訪問・各劇場特別公演のご報告 AKB48公式サイト 2013年3月11日〕。 2013年3月12日時点で、本プロジェクトに集まった義援金の総額は13億円を突破した〔。 2014年10月23日の42回目の被災地訪問では、初めて東北地方から離れ、新潟県中越地震から10年目を迎えた新潟県小千谷市を訪問した〔AKB48、中越地震被災地で初支援活動 日刊スポーツ、2014年10月23日〕。 2015年1月15日の45回目の被災地訪問では、17日に阪神・淡路大震災から20年目を迎える兵庫県神戸市の防災訓練のイベントに参加した〔AKB柏木ら6人が防災訓練イベント出席 日刊スポーツ、2015年1月15日〕。 2015年11月21日の55回目の被災地訪問では、2015年9月10日に発生した豪雨水害の被災地である茨城県常総市の復興イベント「がんばっぺ常総」〔イベント公式サイト 〕にライブゲストとして参加し、初めて震災以外で被災地訪問を行った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「「誰かのために」プロジェクト」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|