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「あゝ上野駅」(ああうえのえき)は、1964年5月に発表された日本のポピュラーソング(演歌)。あるいは同曲を収録したシングル。 作詞・関口義明、作曲・荒井英一、歌唱・井沢八郎。オリジナルモノラル音源シングル盤のレコード番号はTR-1053。以後TP-2022でステレオ盤として再発売、1976年¥600に価格改定とともに改番しTP-10125として発売。 == 概要 == 関口義明〔関口は当時23歳で埼玉県の地方銀行に勤務していた。(この曲がヒットしたにもかかわらず)プロの作詞家として独立したのは商社勤めなどを経て40歳を過ぎてからだった(『ポピュラー音楽人名事典』 日外アソシエーツ)。〕は、上野駅で見かけた集団就職の少年たちを題材に〔「ああ上野駅」作詞家、関口義明さん死去 - MSN産経ニュース 〕詞を書き、農家向け家庭雑誌『家の光』の懸賞に応募、1位入選を果たした。 これを見た東芝レコードの近藤秀男によりレコード化され、当時ほぼ無名の若手歌手だった井沢八郎が歌った。1位入選作は大物歌手によってレコード化されるという触れ込みであったため、関口は落胆したが〔『日本経済新聞』2007年2月23日夕刊〕、歌手を志して青森県から単身上京した井沢自身の人生も重なり、発売後まもなく「金の卵」と呼ばれた集団就職者などから支持と共感を得て、高度成長期の世相を描いた代表的ヒット曲となった。いわゆる団塊の世代を中心に「心の応援歌」として多くの人々に勇気と感動を与えた楽曲であり、井沢の代表曲との呼び声も高い。 オリジナルの音源はモノラルで台詞は吹き込まれていなかったが、井沢八郎自身がテレビ歌番組に出演中、父親の訃報が入り、即興で入れた台詞が好評だったため追加吹き込みとなった。 以後疑似ステレオ化され、B面曲を同じく井沢のヒット曲である「北海の満月」に差し替えた『ベスト・カップル・シリーズ ああ上野駅/北海の満月』として再発されている。 1985年、テイチクレコードから発売されたシングル「あゝ青森」(RE-683)B面に、ニューバージョンが収録されている。テイチクから発売されているCDに収録されているのは、オリジナルではなくこちらである。 2001年12月、東北本線にリバイバル急行「津軽」号が運転された際、出発セレモニーで井沢はこの曲を歌い、駅長と共に「津軽」号の発車の合図をした。2003年には上野駅に歌碑が建立された(後述)。 2007年1月に井沢が亡くなると、『第39回思い出のメロディー』(NHK、2007年8月11日放送)で、追悼として氷川きよしが歌唱した。 井沢の娘である工藤夕貴は、父の死後の記者会見で「『あゝ上野駅』は、パパの残してくれた大きな宝物。だから、『あゝ上野駅』は私が歌い継いでみせます」と、宣言している。 『NHK紅白歌合戦』では、井沢によって披露されたことはないが、1982年の『第33回NHK紅白歌合戦』で西田敏行が歌唱した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「あゝ上野駅」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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