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水前寺 清子(すいぜんじ きよこ、本名:林田 民子、1945年10月9日 - )は、熊本県熊本市中央区出身の日本の女性演歌歌手、女優。 == 人物 == 熊本市の子飼商店街で生まれ、小学校まで同地で過ごす〔これまでに訪れた所 熊本県 - NHK ここはふるさと旅するラジオ(2014年4月19日閲覧)〕。熊本市立碩台小学校→洗足学園中学校・高等学校卒業。愛称「チータ」はデビュー前からの物で、小柄であったため「ちいさいたみちゃんの気持ちを忘れないように」と作詞家の星野哲郎が命名したものである〔星野が死去した際、本人がそうコメントした。〕。動物のチーターとは直接の関係はないが、着物の柄などにチーターの意匠を用いることがある。芸名の水前寺は故郷・熊本市の水前寺成趣園から、清子は故郷・熊本の武将加藤清正から、それぞれ取ったもの。過去には長年にわたってサンミュージックプロダクションに所属していた。 見得を切りながらの歌唱は「ん-にゃっ!」という語尾ひねりによって物まねされることが多いが、本人の癖はそれほど強くない。しかし、自らの物まねを意識してあえてひねることもある。 15歳時に出場した「コロムビア歌謡コンクール」に出場し2位になる。そのときに星野哲郎が水前寺に声を掛けたことが後のデビューのきっかけになった。その後、歌謡コンクールを主催したコロムビアで11回もレコーディングをしたものの、レコードデビューすることはできなかった〔自然化粧品 サビーナ 水前寺清子さんスペシャルインタビュー 〕。そこで、水前寺はクラウンレコードに移籍し、畠山みどりが歌う予定だった「袴を履いた渡り鳥」を畠山のキーのままで「涙を抱いた渡り鳥」とタイトルを変更した上で念願のデビューを果たした〔合田道人『紅白歌合戦の真実』幻冬舎、2004年〕。 1970年からは民放ドラマ史上最高の視聴率56.3%を記録したTBSのドラマ「ありがとう」に主演し、山岡久乃演じる母と娘(水前寺)の日常生活、石坂浩二との恋を演じた。プロデューサーの石井ふく子はこのドラマを構想以来、水前寺がTBSに歌の仕事に来るたびに局内の女子トイレで待ち構えて口説き、歌手しかやらないという水前寺をついに出演させた〔『お宝TVデラックス』での石井・水前寺両者の証言より。〕。しかし水前寺が歌手活動に専念したいとの意向で第3シリーズをもって降板し、第4シリーズは主演が佐良直美に交代となった。 1994年にサントリーフーズよりC.C.レモンという清涼飲料水が発売になり、そのCMソング「C.C.レモン」(商品と同名タイトル)を歌ったことで話題になる。 ロアッソ熊本応援イメージソング 「HIKARI 〜輝く未来へ〜」を歌った縁から、J2・ロアッソ熊本のファンであることを自ら公言している。 「NHK紅白歌合戦」には1965年(16回)から1986年(37回)まで22回連続出場していた。その内紅組の司会を4回務めたことがあり、1960年代後半 - 1980年代にかけて、紅組内ではムードメーカー的存在であることが多かったが、トリを飾ったのは1983年(第34回)のわずか1回だけである。しかしながら、全盛を極めていた時代の紅白の象徴的な歌手であり、様々なエピソードが残されている(詳細は後述)。 また、健康日本21推進ウオーキング実行委員長、社団法人日本ウオーキング協会理事の役職も務めており、本業よりもそうした方面での活動も多くなっている。 2011年6月14日に広島で行ったコンサートでステージ中央の階段から落ち、左ひざをはく離骨折する大けがを負った。当日はそのまま公演を続けたが、翌15日に病院で診察を受けたところ、左ひざの骨折だけでなく、じん帯損傷も判明。担当医には「治るまでかなりの時間がかかる。絶対安静」と言われたという。自身のブログでは「大丈夫です。何とかいつものように、あちこちと動けるように努力してま〜す。あまり心配しないでください」とつづっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「水前寺清子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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