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あした 順子・ひろし(あした じゅんこ・ひろし)は、漫才協会、落語協会所属の男女漫才コンビ。昭和後期から平成にかけて、体を張ったどつき漫才で人気を博した。 五代目柳家小さん一門(のちに五代目鈴々舎馬風一門)。出囃子は『啼くな小鳩よ』。ふたりは師匠と弟子のコンビであり、夫婦ではない〔漫才師・あしたひろしさんが死去 享年93歳 どつき漫才で人気 ORICON STYLE、2015年12月4日〕。 == 略歴 == 1960年〔に南 順子・北 ひろし(みなみ じゅんこ・きた ひろし)〔【今週のご推笑・東】あした順子・ひろし「磨きこんだ絶妙なネタ」 ZAKZAK、2009年10月10日〕の名で結成。最初は漫才ではなく、ひろしの司会で順子が手品をするマジック・コント主体だったが、覚えも要領も悪いひろしを、順子が舞台上で思わず叩いたのを見たリーガル天才・秀才に、どつき漫才への転向を勧められる。歌謡ショーやキャバレー、女子プロレスの前座などで稼ぐうち、ドサ回りで芸が荒れるのを自覚し、1965年の大須演芸場開場を期に高座に専念。 秋田實の後見を得て〔1960年代末から上方に移り、ミヤコ蝶々・南都雄二、京唄子・鳳啓助、中田ダイマル・ラケット、夢路いとし・喜味こいし、秋田Aスケ・Bスケ、かしまし娘ら大看板の中で揉まれて芸を磨き、認められて「秋田」の屋号を許されたものの、畏れ多いと辞退して、一字違いの「あした」を名乗るようになった。 大阪万博終了後の1971年に帰京し落語協会に加盟、1976年、真打昇進。ひろしが老境に差しかかった1990年代後半から猛然と売れ出す。弟子はいない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「あした順子・ひろし」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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