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あびゅうきょ(Abyukyo、男性、1959年12月25日〔公式HP 自己紹介 〕 - )は日本の漫画家。東京都〔杉並区〔〔中野渡淳一『漫画家誕生169人の漫画道』(新潮社、2006年)56ページ〕出身。帝京大学法学部〔卒業。血液型O型〔。本名は安部幸雄〔。 少女、電車、戦闘機、風景などをトーンを使わず、緻密な描写で表現し、現代社会を鋭く風刺した作品を発表する。商業誌よりも同人活動としての執筆が多いが寡作である。作品によっては人物の絵柄が異なる。 == 経歴 == 子どもの頃はあまり漫画を読まず、唯一買った単行本であるあすなひろしの『青い空を、白い雲がかけてった』が自身の漫画のルーツだという。漫画よりもむしろアニメに影響を受け、はじめは『鉄人28号』、中学時代は『宇宙戦艦ヤマト』、大学では『未来少年コナン』に魅了された〔。 帝京大学在学時にサークルで漫画を描き始め、1982年に『火山観測所』で「リュウ」(徳間書店)にてデビュー。〔因に当時、この編集部にはフリーエディターとして大塚英志がいた。 その後はしばらく「リュウ」や「プチアップルパイ」で活動。「プチアップルパイ」に掲載された少女戦記作品を主にした初の商業単行本『彼女たちのカンプグルッペ』が1987年3月5日に大和書房から発刊される。企画は大塚英志+CANDY HOUSE。装丁は神崎夢現。トーンを使わず「線で世界を光と影に分かつ」〔別冊宝島EX『マンガの読み方』「はじめに「線」ありき」(斉藤宣彦)27ページ(宝島社、1995年)〕銅版画のような作風と共に「戦争と少女を描き続ける異色作家」とも評された〔別冊宝島316『日本一のマンガを探せ!』(宝島社、1997年)67ページ〕。 1987年からは講談社『コミックモーニング』のオールカラーコミックシリーズに執筆陣の一人として参加〔。1989年11月にそのオールカラーコミックス作品単行本『快晴旅団』を発表。その後もコミックモーニングパーティー増刊等にシリーズ作品『風の中央鉄道』等を発表する。後に2004年に電子書籍化。 これとは別に1989年5月より徳間書店「コミックバンバン」増刊「新ワイルド7」にあびゅうきょ初の長篇連載漫画『ジェットストリームミッション』を連載開始。第7話からは徳間書店「月刊ヤングメタル」、第9話からは日本出版社「コンバットコミック」に掲載誌を変えながら続行。1995年1月に日本出版社から単行本化された。 一方、メジャー誌での活動も続行し、1995年からはコミックモーニングオンラインにて『阿佐ヶ谷誘覧』を掲載開始。1999年よりあびゅうきょ公式ホームページにて閲覧可能。 1994年から自費出版活動にも着手。学漫時代の作品を集めた『偏西風78』を発表。「細密描写による独特のスタイル」〔『ダ・ウィンチ』(リクルート、1997年7月号)105ページ「注目のインディズコミック」選定・文/米沢嘉博〕は自費出版でも受け継がれた。また当時様々なクリエーターに影響を与えた『新世紀エヴァンゲリオン』に傾倒、アンソロジー、自費出版でもこのアニメに関する作品を幾つか発表している。 以後、商業誌、自費出版平行して創作活動を続行。「コンバットコミック」「ガロ」等で作品を発表する。 2001年1月より少年画報社「月刊OURs LITE」にて「絶望影男シリーズ」開始。2003年3月からは幻冬舎コミックス「コミックバーズ」に掲載続行。2003年3月に「絶望影男シリーズ」最初の単行本『晴れた日に絶望が見える』が幻冬舎コミックスより発刊。「希望なき現代に生きる日本男子の姿を影男に投射、ファシストの美少女に隷属する様を描く」〔伊藤剛『マンガを読む』71ページ(青土社、2008年)〕とも評された。翌年、過去のコミックス再編の『あなたの遺産』(2004年)、「絶望影男シリーズ」続編『絶望期の終り』(2005年)が発刊。連載は2008年8月に終了したが2016年1月現在、完結編のコミックス化はされていない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「あびゅうきょ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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