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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
あめぞうは、あめぞう (人物)が開設した、リンク集と電子掲示板群を核とするウェブサイト「あめぞうリンク」の略称である〔ばるぼら (2005) p.256〕。特に、そこに設置された日本初とされるマルチスレッドフロート型掲示板「あめぞう掲示板」を指すことが多い。 1997年8月5日に「あめぞうリンク」というリンク集として開設された。スレッドフロート型掲示板が設置されたのは1998年9月6日である。2ちゃんねるは、ここの利用者であったひろゆきにより、あめぞう掲示板の副次的存在として始められた。 以下、サイト全体については「あめぞうリンク」、開設者の「あめぞう (人物)」については、「あめぞう」と表記、あめぞうリンクに設置された掲示板は「あめぞう掲示板」、あめぞうが発展させた掲示板形態は「あめぞう型掲示板」として峻別する。 == 概要 == 1990年代の大型有力掲示板サイトは、多くのアクセスが集中し、多大な記事が投稿されるため、たいへん利用しづらいものであった。例えば、記事ツリーが縦方向に長くなってしまい、古い記事ほど下へ下へと押し出され、目当ての記事を探し出すのも一苦労だった。また個人運営のサイトは、有名になって利用者が殺到すると、たちまち反応が重くなってしまい、使い物にならなくなった。 そういった常識を覆したのが、スレッドフロート型掲示板を採用し、進化させたあめぞう型掲示板であった。これが当時としてはたいへん画期的な操作性、利便性を持っており、使いやすさから利用者間の交流をそれまでより容易にした。そして、サーバレンタル会社との提携による(無料サイトに依らない)ディスクスペース確保など、非商用の個人運営サイトでありながら、日本における大規模な掲示板サイトの先駆けともなり、1999年には日本一の利用者数を誇るまでに成長した。開設当時の情勢としては、パソコンはまだ高額であり、インターネットもまだ一般には広く利用されておらず、インターネット利用者はISDNなど細い回線で使用時間に応じた課金をされても接続する好事家層が多くを占め、議論の水準は比較的高かったと考えられる〔「巻頭インタビューひろゆき(西村博之)」 『インターネット「タブー」地帯』 <別冊宝島1661> 宝島社 2009年11月16日 pp.2-11〕。また、雑談のほか、株式・経済・社会情勢・コンピュータ関連など、様々な話題も活発に語られていた。 だが、1999年春頃から増大した利用者に対応するサーバ確保が困難になり度々移転を余儀なくされたり、荒らしが増え始め、加えて一部掲示板の書き込みによってあめぞうが脅迫を受けたとされることなど、運営に様々な問題が起こってきていた。この頃、あめぞうは掲示板上で、サイトの引き継ぎ先の団体を求めたこともあった。あめぞう掲示板利用者であり、2ちゃんねるを設立していた西村博之(ひろゆき)がそれに応じる発言をしていたが、あめぞうは「個人では自分と同じ結果(脅迫などの圧力を受け、運営ができなくなる状態)になってしまう」とそれを断った経緯がある。 追い打ちをかけるように、夏頃からはあめぞうウイルスといわれるスタイルシートを利用したスクリプトによる荒らしが来襲、これにより秋にはあめぞう掲示板は壊滅し、あめぞうリンク自体も2000年3月3日に閉鎖された〔ただし、サーバ設定の変更などによって、一時的ではあったが一部の板が使用可能になったことがあった。現在あめぞう掲示板の過去ログとして残されているもの多くは、その時にサルベージされたものである〕。本家の衰退後、あめぞう掲示板利用者により、避難所設立などが行われ活動は続いたが、安定した環境の確保に成功した2ちゃんねるに利用者が移っていったこともあり(当時は両サイトを兼用する利用者もいた)、徐々にあめぞう系の掲示板利用者数は減少していった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「あめぞう」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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