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あめつちの詞 : ミニ英和和英辞書
あめつちの詞[あめつちのことば]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

あめつち : [あめつち]
 【名詞】 1. heaven and earth 2. the universe 3. nature 4. top and bottom 5. realm 6. sphere 7. world

あめつちの詞 : ウィキペディア日本語版
あめつちの詞[あめつちのことば]
あめつちの詞(あめつちのことば)とは、仮名48字からなる誦文のこと。単にあめつちともいう。今日までの国語学言語学における研究では、平安時代初期に作られたとされている。
== 解説 ==
あめつちの詞が出てくるもっとも古い例は、 源順911年 - 983年)の私家集『順集』である。その中に、あめつちの詞の仮名を以下のようにはじめと終りに置いて詠んだ「あめつちの歌」〔『順集』にはほかにも「双六の歌」、「碁盤の歌」というものがあり、これはそれぞれ双六盤や碁盤の形に和歌を並べて詠むという、一種のクロスワードパズルのようなものである。その中の「あめつちの歌」というのは「あめつちの詞」を詠み込んだ和歌ということであり、あめつちの詞が当時「あめつちの歌」と呼ばれていたわけではない。〕があり、和歌の内容を春・夏・秋・冬・思・恋の構成としてそれぞれ8首、合わせて48首が収められている。
:らさじと うちかへすらし をやまだの なはしろみづに ぬれてつくる〔この末尾の「あ」とは畔(あぜ)のことで、「あぜ」の古い語形。〕
: もはるに ゆきまもあをく なりにけり いまこそのべに わかなつみて
:くばやま さけるさくらの にほひをぞ いりてをらねど よそながらみ
:ぐさにも ほころぶはなの しげきかな いづらあをやぎ ぬひしいとす
以下は略すが、これによってあめつちの詞を復元すると次のようになる。
: あめ つち ほし そら やま かは みね たに くも きり むろ こけ ひと いぬ うへ すゑ ゆわ さる おふせよ えのえを なれゐて
見られるようにおおむね2音節の言葉を連ねており、冒頭から「さる」までは、「天・地・星・空・山・川・峰・谷・雲・霧・室・苔・人・犬・上・末・硫黄〔「ゆわ」が硫黄のことだというのは、日本語にはほんらい語頭にラ行の音を持つ言葉が存在せず、古代日本において漢語「硫黄」が入ってきたとき、「リウ-ワウ」と発音することができずにこのように変化したもので、現在でもこの語を「いおう」と読むのはその名残である。源順が編纂した『和名類聚抄』には「硫黄」の項目にその注として、「硫黄」を俗に「ユワウ」と呼ぶと記されている。〕・猿」という言葉を並べたものとみられるが、それ以降の「おふせよ えのえを なれゐて」は意味不明な語の羅列になっていて形式的にも破綻している。その理由については不明である。またいろは歌と同様、同じ仮名を二度使わずに構成しているが、「えのえを」で「え」が二つあるのは、ア行の「え」とヤ行の「え」の区別を示すものと考えられることから、この区別が残っていた平安時代初期(900年前後)までに成立したと推測されている。なお紀貫之は『土佐日記』でこのふたつの「え」について区別して用いているが、のちの音韻の変化により源順はこの区別ができなかったらしく、「あめつちの歌」でふたつの「え」を置いた歌は2首とも副詞の「え」、すなわちア行の「え」で始まっている。
このあめつちの詞は『千字文』を意識して作られたともいう。また10世紀半ばには成立していたとみられる『宇津保物語』の「国譲」の巻に、手習いすなわち毛筆で仮名を書くための手本としてその名が見え、それによりあめつちの詞は手習いに使われたといわれる。しかし『宇津保物語』の諸伝本においては、その例とされる箇所の本文の異同が激しく〔『日本古典文学大系』の『宇津保物語』の校異によれば、あめつちの詞を指すとされる箇所は伝本によって「あめつちそ」、「あつめつちそ」、「あつめかきて」などとあるという。〕、本来それがあめつちの詞を意味していたのかどうかはっきりしない。従ってその当時、実際に手習いに使われていたのかどうかも不明である。そもそも手習いをするための手本としては、「なにはづ」や「あさかやま」の歌があり(仮名を習得するための和歌参照)、たとえあめつちの詞が手習いに使用されることがあったとしても、一般的なことではなかっただろうという指摘がある。ただしのちの南北朝時代の『古今集序註』(北畠親房著)には、あめつちの詞がいろは歌の仏教的な内容を嫌う人々の間で、手習いに用いられたと記されている。
天禄元年(970年)の序文を持つ『口遊』に収録される大為爾の歌には、以下の文がその注釈として記されている。
小松英雄はあめつちの詞は本来、当時の漢字音、特に二字熟語アクセントを習得させるために作られたものであり、それは「あめ」や「つち」という和語が本来備えているアクセントを、そのまま漢字音のアクセントに置き換えて覚えさせようとしたものであるとし、そしてそこから更にいろいろなアクセントのかたちを取り出すために、あえて日本語としての意味を断ち、以下のように七字区切りにして用いられたと推測している。
したがって『口遊』に収録される大為爾の歌の注釈文で「阿女都千保之曽」(あめつちほしそ)とするのは、そのように使われていたことを示すものであるとした。だがあめつちの詞はその末尾が「おふせよ えのえを なれゐて」と意味不明な形になっており、それに対して大為爾の歌は一応文脈らしきものを持ち最後まで内容が整っていることから、「此誦為勝」とされたという。大為爾の歌もあめつちの詞やいろは歌と同じく、本来アクセント習得のために仮名を網羅した誦文として作られたと見られるが、しかし大為爾の歌は結局世に広まることは無く、それに比べてあめつちの詞はいろは歌ほどではないにしろ、後世に伝わることになったのである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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