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公益社団法人あゆみの箱(あゆみのはこ)とは、映画や演劇など文化活動を通じた福祉の増進や、社会福祉事業の発展への貢献〔募金活動のはじまり あゆみの箱公式サイト〕を目的とする、日本の公益社団法人。所在地は東京都渋谷区恵比寿南〔公益社団法人 あゆみの箱 あゆみの箱公式サイト〕。芸能人による募金活動の草分け的存在として知られ、東京都募金許可第一号の団体でもある〔野田洋典『あゆみの箱 芸能人が始めたボランティア』KTC中央出版、2002年、p.210〕。現在の会長は俳優の久保明〔「あゆみの箱」義援金届ける さをり事業拠点移転に活用 石巻 2014年3月28日 石巻かほくメディア 猫の目〕。 == 歴史 == ワクチン不足から全国的に小児麻痺が大流行した1963年、映画監督の川島雄三が同病の後遺症により他界〔。川島と親交の深かった俳優の伴淳三郎が、川島に教えられた心身障害者施設を訪問し、小児麻痺に苦しむ入所者の境遇を目の当たりにすることとなる〔。「小児麻痺で苦しむ子供たちに光を当ててあげよう」と、川島の墓前で誓いを立てた〔。 一方同じ頃、俳優の森繁久彌も家族で募金活動を続けており、両者は同じ仕事先で意気投合し奉仕活動を始める〔。「あゆみの会」が社団法人として発足したのは、同年12月23日のことであった〔。創設に関わった伴や森繁の他、水谷八重子および秋山ちえ子を加えた4名が常任理事に選任〔。撮影現場の残り木から募金箱を作成、役者仲間と共に劇場や街頭、ロケーションに行く列車の中で募金を呼びかけてゆく〔。 1965年2月6日には、伴と森繁の他、坂本九、フランキー堺や淡島千景ら多くの芸能人が参加した、第1回チャリティーショー(東京都、厚生省、日本医師会後援〔新宿厚生年金会館大ホール あゆみの箱チャリティショー 坂本九公式サイト〕)を新宿厚生年金会館にて開催〔野田 2002年 p.52〕。以後都内のみで22回(うちフジテレビ系列での中継20回)開催、名古屋市や福岡市、札幌市などの他、海外(ハワイ、サンパウロ、サンフランシスコ、ロサンゼルス各2回、リマ1回)でもチャリティーショーが行われた〔野田 2002年 p.55〕。 1965年春伴と森繁がワイドショー「小川宏ショー」(フジテレビ系)に出演。募金額が700万円に上ったこと、その募金で歩行器を購入し、全国120ヶ所の施設に寄付することを発表した〔。募金箱の名称を「この募金箱によって、手足の不自由な子どもたちが歩めるように」との思いを込め、「あゆみの箱」と命名したことも併せて公表することとなる〔。番組内で題字を公募した結果、当時大分県別府市の県立養護学校整肢園校舎に在校していた、小学校4年生の女児の作品が選ばれ〔、現在でも「あゆみの箱」で用いられている。 その後、全国重症心身障害児センター(東京都世田谷区三宿)に建設資金を寄付(1966年)、心身障害児保養所のやすらぎ荘(福岡県筑前町)建設(1971年)に関わるなど、福祉活動を積極的に進めながら現在に至る〔。2011年3月11日に東日本大震災が発生すると、街頭募金を月1回のペースで実施〔。被災地の福祉施設へ義援金を送っている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「あゆみの箱」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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