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あんくるバスは、愛知県安城市で運行されているコミュニティバスである。 2000年より運航を開始。現在、系統は10本、東伸運輸・オーワ・大興タクシー・名鉄バスの4社によって運行している。〔あんくるバス (運行状況、忘れ物等のお問い合わせの節を参照)2015年8月26日閲覧。〕 == 歴史 == 2000年、名古屋鉄道が新安城駅・安城駅と高棚を結ぶ名鉄バス安城・高棚線の廃止を表明したことから、安城市は安城・高棚線を引き継いで自ら運営することを決定。安城・高棚線を引き継ぐ高棚線に、市街地を循環する市街地線を加え、東伸運輸に運行を委託して、同年10月から試験運行を開始した〔「中日新聞」 2000年10月3日朝刊、西三河総合版 25頁〕。2001年10月には、市北部の新安城駅から里町・柿碕町までを結ぶ北部線の試験運行も開始し、またこれまでの月曜運休から毎日運行に切り替えた〔「中日新聞」 2001年2月16日朝刊、西三河版西三河 20頁〕〔「中日新聞」 2001年10月2日朝刊、西三河版西三河 18頁〕。 2001年9月には、バスの名称が公募の結果、「安城をくるくる回る」という意味から「あんくるバス」に決定した〔「中日新聞」 2001年9月22日朝刊、西三河版西三河 20頁〕。2002年5月からは更生病院(現・安城更生病院)の郊外移転にともない、市街地・高棚線のルートが変更された〔「広報あんじょう」 2002年4月1日号 24頁〕。同年10月には、新安城駅・安城駅方面から東端を結ぶ名鉄バス路線の補助を打ち切って市運営に切り替えた。また同時に、これまで運行されていなかった南西部の桜井・藤井町方面の路線も新設し、南部線と桜井線が開通した〔「中日新聞」 2002年2月16日朝刊、西三河版 26頁〕。2003年4月からは東別所から安城更生病院・東刈谷駅を経由し新安城駅まで行く東西線が開業した。東刈谷駅は初めて市外に設置されたバス停となった〔「中日新聞」 2003年4月2日朝刊、西三河版 16頁〕。東西線は1便あたりの利用率が31.2人と全系統のうち最高となったが、距離が長いため運行本数が少なく東は東で西は西での利用が多く、東西を通しての利用が少なかったため、2004年10月から東西を分割し東部線と西部線とした〔「中日新聞」 2004年10月1日朝刊、西三河版 26頁〕。 2009年10月には運行形態の見直しを行い、系統を7から10に、本数を40本から73本から増やした。左右周りを採用し、系統あたりの1日6本を確保したうえで、人口が多いもののルートから外れていた石橋・井畑団地、作野町と、高架化工事が完了した桜井駅をルートに組み込んだ〔「中日新聞」 2009年3月13日朝刊、西三河版 18頁〕。これにより、作野線、桜井西線と、市街地を巡回する循環線が誕生した。また、運行会社も名鉄バスが撤退し、新たにオーワが参入した。碧南市の「くるくるバス」が榎前町に榎前バス停を設け、あんくるバスとの乗り継ぎを始めた。 2014年10月1日からは、障碍者社会参加促進事業の一環として障碍者手帳を所持対象者は無料になることを発表し、付添者も無料になる〔あんくるバスの無料乗車証(シール)について(ご案内)〕。また全路線の運行形態の見直しも行われ、東海道新幹線の線路より北側を運行する各路線はJR安城駅、南部を運行する路線は安城更生病院をそれぞれ運行拠点とするようになった(両地域を行き来する場合は循環線への乗り継ぎが必要)。南部線は碧南市の碧南市民病院、東部線は岡崎市の宇頭駅へそれぞれ乗り入れるようになった。循環線に関しては名鉄バスに運行委託され、manacaおよび相互利用が可能な各交通系ICが利用可能になり、両回り運行となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「あんくるバス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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