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いいだ もも(本名:飯田 桃(読み同じ)、1926年(大正15年)1月10日 - 2011年(平成23年)3月31日〔)は、東京府出身の作家、評論家。多元主義的共産主義者。『21世紀への構想』研究会主宰。『近代日本社会運動史人物大事典』編集委員。男性。別名の宮本 治は「宮本百合子と太宰治をアウフヘーベンする」との意図によるという。 == 来歴・人物 == 現在の東京都港区に生まれる。東京府立第一中学校から第一高等学校を経て、1944年(昭和19年)に東京帝国大学法学部入学。同期に三島由紀夫がいたが、互いに面識はなかった。戦後まもなく、一高生を中心に全国の大学や高校をつなぐ同人誌『世代』の創刊に参加。 1947年(昭和22年)、東大法学部を首席卒業して日本銀行に入行。まもなく結核のため退職し、茨城県で療養中、新日本文学会などに参加。いわゆる残飯闘争を指導した。 1961年(昭和36年)、処女作『斥候〔ものみ〕よ夜はなお長きや』を発表。水戸市にて梅本克己たちと水戸唯物論研究会で活動する傍ら、農民運動のオルグに挺身。 1965年(昭和40年)、綱領論争をめぐって日本共産党から除名処分を受け、新左翼陣営に入る。1960年代後半はベ平連の活動を支え、思想の科学研究会で活動。 1967年(昭和42年)、共産主義労働者党書記長に就任。後に議長となり、1969年(昭和44年)に辞任。その後、同党の赤色戦線派を結成して活動したが、メンバーを結集させる事ができず指導を放棄して組織から離脱した。以降は自称「しろうと」として、評論家・著述家として活動〔時事ドットコム:作家、評論家のいいだももさん死去=「ベ平連」などに関わる 〕。 1979年(昭和54年)、『季刊クライシス』を創刊、編集代表を務める。 2011年(平成23年)3月31日、老衰のため神奈川県藤沢市の病院で死去。85歳没〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「いいだもも」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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