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石文 碑 いしぶみ
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いしぶみ
『いしぶみ』は、1969年および2015年に広島テレビ放送(広島テレビ)が制作・放送したドキュメンタリー番組、もしくはこの番組をもとに1970年ポプラ社から刊行された書籍である。 1945年(昭和20年)8月6日、勤労動員中に広島原爆で全滅した旧制広島県立広島第二中学校(現・広島県立広島観音高等学校〔ただし同校の商業科は分離して広島県広島商業高等学校(現・広島県立広島商業高等学校)へ統合。〕)1年生321名〔1969年制作・放送のテレビ番組『碑』の中では322名と紹介。その後、書籍『いしぶみ』などにおいて、1人少ない321名と紹介されるようになっている。原爆投下で20数万人が犠牲となり、「家族全員が亡くなっているケース」「遺骨さえあがらないケース」等も珍しくなかったため、身元が判明したのは、このうち226人となっている。〕の記録である。 == 内容 == 第二次大戦下の広島二中では、3年生以上は軍需工場へ働きに行き、1、2年生には学校で芋を作る作業等があったため、その分、授業に割ける時間が減ることになり、夏休みも返上しての学校生活が続いていた。その頃の中学生たちの日々の暮らしぶりは、遺されたある生徒の日記や、遺族たちによる手記の中に描かれている。1945年8月6日、午前8時15分。広島市の中心部、中島新町の本川土手(現在の広島平和公園、広島市公会堂(後に広島国際会議場に改称)の前の道路)に、空襲による発生が予想された火災の被害を抑え、避難場所を増やすための空き地を広げるために建物を壊してゆく、その後片付けの作業のために集合していた321名の生徒たちと4名の教師たちの頭上で、原子爆弾が炸裂した。本作は、その生徒たちと教師たちの運命、その最期を、判明している範囲で淡々と伝えたものである。子供を心配して探しに来た父母に会えて、喜びのうちに亡くなった生徒がいる一方、どこで死んだのか未だにわからない生徒も少なくない。このように、8月6日に起きた出来事を、広島二中の生徒を中心に克明に描いている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「いしぶみ」の詳細全文を読む
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