|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ゞ : [くりかえし] (n) voiced repetition mark in hiragana
PAネロ(ピー・エー ネロ)は、いすゞ自動車が生産しヤナセが販売した乗用車である。 アメリカにおいて、ゼネラルモーターズのGEO (ジオ)チャンネルの”ストーム”として販売していた3代目ジェミニベースのクーペモデルを、日本国内向けに若干の仕様変更を施して1990年5月より販売した(発売自体は国内のいすゞ・ジェミニクーペよりも早い)。ボディは基本的には3代目ジェミニのクーペおよびハッチバックモデルと共通であるが、フロントとリアのデザインが変更されている。 生産は国内外向け全てのモデルがいすゞ自動車・藤沢工場で行われていた。 == 概要 == === ジオ・ストーム === 1980年代初め、当時ゼネラルモーターズ (GM) の傘下であったいすゞはGMのシボレーディビジョン向けにジェミニ(750型)を供給していた。その後次期モデル760型に移行するにあたり、ゼネラルモーターズの要望によりGMブランドへの供給を前提とした開発を行う事となる。これにはジェミニの販売が北米市場である程度成功していたことと、当時需要の増していた小型車を生産する必要に迫られていたGMが内製での開発費を抑えるためにグループ企業に開発させるという目的があったことに加え、シボレーのサイドが高級車コルベット、普及車カマロに続く廉価なスペシャルティカーを誕生させたかったという経緯があるといわれる。 開発に際しては、従来いすゞの乗用車のデザインはベレット以降はイタルデザイン(ジョルジェット・ジウジアーロ)に委託していたのだが、上記の経緯により760型ジェミニはGMデザインが基本コンセプトを提案している。これらにより760型ジェミニのメインマーケットは北米市場を主眼に置くこととなり、セダンと平行して開発されていたクーペモデル(ストーム)からデザインが行われ、展開されることとなった。シボレーの姉妹ブランドであるジオ向けへの供給を前提としていたこともあり、ストームの基本デザインは日本車離れしたカマロ風のアクの強いフロントデザインを持つこととなる。なお、この原案から製品デザインに仕上げたのが現金沢美術工芸大学教授の浅野隆である。デザインコンセプトは「カプセルフォルム」の具体化であった。 ストームの北米での販売成績は当時の湾岸戦争危機による原油高の影響から来た小型車ブームの波に乗ったためかなりの好調で、多い月では月販1万台を超えるほどであり、年間を通じても約9万台の販売を達成、輸入車としては異例のベストセラーとなっている。機構に意欲的な試みが導入されていることもあって、スポーツコンパクトカーとしても人気を博し、改造車の雑誌(ホットロッドマガジンなど)などにも度々登場していた。1992年には1800ccの「4XF1」エンジンを搭載し、リトラクタブル・ヘッドライトを廃したマイナーチェンジも行われた(このマイナーチェンジ版のフロントフェイスは、日本国内で唯一回のみ、1992年の東京モーターショーにて展示された「ジェミニ・ウィザード」で披露されている)。 北米での販売好調なのを受け、カナダでもストームの販売要望が上がったほどであった(結局カナダへは1992年からシボレー系列で販売が開始された。また、ポンティアック系列にはストームの代替として2代目ピアッツァベースのアスナ・サンファイアが供給された)。 その後も販売は好調であったが、1993年のいすゞ自動車の乗用車生産撤退と共に生産が打ち切られることとなった。 Image:1991WagonSide.jpg|前期型ハッチバック 1990年 - 1992年 Image:Geo-Storm.jpg|後期型クーペ 1992年 - 1993年 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「いすゞ・PAネロ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|