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逸見 政孝 (いつみ まさたか、1945年2月16日 - 1993年12月25日) は、日本のフリーアナウンサー、タレント、俳優、司会者、ニュースキャスター。元フジテレビアナウンサー。大阪府大阪市阿倍野区出身。エッセイストの逸見晴恵は妻、俳優の逸見太郎は長男、タレント・キャスターの逸見愛は長女。 == 来歴・人物 == === 生い立ち === 大阪市阿倍野区阪南町生まれ〔自著『マジメまして逸見です Majime it's Me』フジテレビ出版、1985年、34-49頁〕。父親は広島県尾道市の出身で旧姓は毛利〔〔自著『魔法のまじめがね—ブラウン管は思いやり発信局』文芸春秋、1989年、14、15頁〕、逸見家に養子入り〔。父親は長く福徳相互銀行(現:近畿大阪銀行)に勤務した〔〔。母親は大阪の出身〔〔。子供の頃から映画鑑賞が趣味で、特にチャップリンと黒澤明の作品は全て観たという。「この2人に関しては映画評論家の方たちと話してもなんとかなる」と自信を持っていた。逸見が挙げた日本映画の最高傑作も黒澤の『生きる』だった。フジテレビに入社して間もない頃は、映画番組を担当している先輩アナウンサーのところに映画の試写会の案内が多く届くのを見て「自分もああなりたい」と思っていたという。後年、映画賞の審査員にも起用され、それがきっかけで逸見にも映画試写会の招待状が届くようになって希望は果たされた〔〔。 大阪市立阪南小学校、大阪市立阪南中学校を経て、大阪府立阿倍野高等学校を卒業(同校の先輩に乾浩明がいる)後、一浪して、早稲田大学第一文学部演劇学科に入学〔『マジメまして逸見です Majime it's Me』、51-76頁〕。これを機に出身地の大阪を離れ、以後は帰省時を除き東京で過ごすことになる。大学ではアナウンス研究会に所属。大阪出身であったため大阪方言を話していたが、共通語のアクセントを徹底的に覚えた。ラジオとテープレコーダーを購入し、ラジオでアナウンサーの声を聞き、テープレコーダーで新聞記事を読む自分の声を録音。アクセント辞典を見ながら、録音した自分の声を聞き、間違ったアクセントで発音した語句は、ペンでマーク。また、その語句を黒板に書き、覚えるまで消さないようにした。さらに、日常でも共通語で話すようにした。高校卒業直後に関西学院大学の受験に失敗した際、当時付き合っていた女性にふられてしまい、「見返してやりたい」という気持ちと高校時代に放送部に在籍し、「自分にもできそうで高収入の仕事」という理由から、在京テレビ局のアナウンサーを志したという。早稲田大学に進んだのも、アナウンサーになるのに最も有利な大学という判断からだった。逸見の大学時代は学生運動の盛んな時期だったが、就職に向けた準備に追われて目もくれなかったという〔。大阪弁を完全に矯正して専ら共通語で話していたが、一方で、言葉以外では関西出身者としての誇りを持ち続けた。当時大阪から東京に進出したばかりで全国的には無名だったお笑いコンビのダウンタウンなどの若手タレントを可愛がり、プロ野球は当時低迷が続いていた阪神タイガースを生涯変わらず愛し続けた(関東での阪神の試合に家族で頻繁に応援に訪れていた。父親、逸見、そして息子の太郎と親子3代続く阪神ファンだと著書で公言している)〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「逸見政孝」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Masataka Itsumi 」があります。 スポンサード リンク
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