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石原 詢子(いしはら じゅんこ、1968年1月12日 - )は日本の演歌歌手。本名は石原 悦子(いしはら えつこ)。岐阜県揖斐郡池田町出身。石原音楽事務所所属。いとう冨士子というペンネームで作詞・作曲も発表している。 ==略歴== 2000年及び2003年、NHK紅白歌合戦出場。 デビュー曲「ホレました」(1988年10月21日)以来、ソニーミュージック系列のレコード会社に所属しており、現在はソニー・ミュージックダイレクトに所属している。TBSラジオの深夜放送「いすゞ歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜」では1989年4月〜1992年2月までパーソナリティをつとめた。1994年に発売された「三日月情話」は日本作詞大賞の優秀作品賞に選ばれた。また、NHK名古屋放送局のラジオ番組「FMリクエストアワー」のパーソナリティを担当。ついでNHKテレビの「どんとこい民謡」の司会者もつとめた。さらに1998年春より出演のNHKテレビの番組「コメディお江戸でござる」では、準レギュラーとして男役「詢吉」、タヌキ、天邪鬼などで楽しい演技を披露、達者なコメディエンヌぶりを発揮した。これが2001年の新宿コマ劇場および梅田コマ劇場での芝居出演の下地にもなっていた。 1999年には「みれん酒」で日本有線大賞有線音楽賞を受賞。ついで翌2000年末のNHK紅白歌合戦出場となった。2001年には「浜歌」の舞台となった北海道江差町の観光大使に任命され、2002年3月30日には東京都巣鴨桜まつりにて巣鴨警察一日署長としてパレード、2003年5月9日には東京丸の内警察一日署長としてパレード。同年6月TAKARAのゲームソフト「新DX億万長者ゲーム」にゲーム内キャラクターとして登場、挿入歌も担当するなど、演歌界で初めてゲームソフト業界への進出を果たした。同年末、「ふたり傘」でNHK紅白歌合戦に再登場。2004年元日には国立競技場で開催された天皇杯全日本サッカー選手権大会の開会式にて「君が代」を独唱。2006年5月には新宿のスペース107にて劇団シニアグラフィティ旗揚げ公演「昭和歌謡シアター・終着駅」の座長をつとめた。この中ではつんく作曲の作品「夢がすみ」も披露。2007年5月21、22日、外務省委嘱でロシアのサンクトペテルブルク市にて桜の植樹セレモニーに協力、フィルハーモニー・ジャズ・コンサートホールで歌った。同月26日、古田肇岐阜県知事より「ひだ・みの観光大使」第一号を委嘱される。2008年10月9日のデビュー20周年記念石原詢子リサイタル「〜今・感謝を込めて〜」では二葉百合子に師事していた歌謡浪曲を初披露した。2012年10月13日、ぎふ清流国体開会式にて国歌独唱。 父親は詩吟「揖水流」家元の「源風」(同名のデビュー20周年記念アルバムが2007年10月に発売されている)。本人は4歳よりこの父に習って詩吟に励み、1975年「第19回中部9県詩吟大会」幼少年の部で優勝。1978年「日本コロムビア詩吟音楽会」全国大会で最優秀賞を受賞という経歴を持つ。12歳で詩吟揖水流師範代となり「美風」と号す。 セネファ株式会社の「せんねん灸」のCMでは、自らの幼少時代の写真と共に、歌手デビュー前の辛いレッスンの体験を語る印象深い映像がオンエアされた。また郷里の特産品「揖斐茶」のほか、株式会社西陣、小林豊子きもの学院のイメージキャラクター、花井幸子のショーでモデルを務めたこともある。2007年、(株)アスカコーポレーションの7月広報に登場、同年9月21日、福岡県福津市宮司元町宮地嶽神社の秋季大祭では十二単を着て三十六代目の祭王を務めた。2010年には銀座トップアートのイメージキャラクター。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石原詢子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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