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いなむら 一志(いなむら かずし、本名:稲村 一志、1949年2月12日 - 2014年1月4日)は北海道夕張市生まれのフォーク歌手、シンガーソングライター。札幌市在住。血液型AB型。大学在学中から歌手・ローカルラジオ局のパーソナリティーとして北海道を中心に活躍し続けた。 == 人物・来歴 == *北海道夕張市生まれ。妹が1人いる。中学2年の時に上川郡清水町に移住〔。北海道清水高等学校卒業後、浪人生活を経て1968年に北海道教育大学札幌分校入学〔。大西孝尚、伊藤 光、奥田裕志、鎌田 司ら5人で軽音楽サークル「FOLK-IN」(フォークイン)を創設する。 *1969年 HBCラジオ「ラジオ開放大作戦」のパーソナリテイーとなる。 *1970年 3年生の時、佐々木幸男、伴洋一、小林光成(こばやし こうや)の4人でフォークロックバンド「第一巻第百章」を結成。 *1971年 第4回全日本ライト・ミュージック・コンテストの北海道代表となり全国4位。(このコンテストの歴代入賞者には、吉田拓郎、赤い鳥、チューリップ、ふきのとう等がいる) *1972年 HBCラジオ「大きなシャツと小さなシャツ」のパーソナリテイー。 *1973年 同学卒業。HBCラジオ「ほうぼう友達はじめ」のパーソナリテイー。自費制作アルバム「Vol.1 Chap.100」発表。 *1974年 HBCラジオ「アローンとマリとその一味」パーソナリテイーを5年間続ける。 *1975年 第9回ヤマハポプュラーソングコンテスト全国大会に、第一巻第百章「ミッドナイトグライダー」で参加。(同じ大会に中島みゆき、八神純子、庄野真代、松崎しげる、渡辺真知子、小坂恭子らが参加。) *1977年 アルバム「Free Flight」」(第一巻第百章)をトリオレコードからリリース。 *1979年 「アローンとマリとその一味」降板。「第一巻第百章」を解散しソロ活動を開始。 *1980年 北海道厚生年金会館大ホール「Heat Island」コンサート開催。 *1983年 「ほっかいどう7:30」(NHK北海道)出演。この時期流行した「一村一品」という町興しキャッチフレーズにあやかり、「一村一ソング」を提唱し、ギターを持って道内212市町村を回り、本格的な活動に入る。 *1988年 米国テネシー州ナッシュビルにて、W.Tデビットソンのプロデュースで5曲レコーデイング。 *1989年 ナッシュビルで2度目の5曲レコーデイング。ナッシュビル地元TV局「CATV」に出演。道民の1%にあたる5万人の声をコーラスにする計画を立て、ラジオやコンサートで呼びかける。 *1990年 CATVに2度目の出演のため渡米。 *1992年 テレビ朝日系全国ネット・ドキュメンタリー「4000キロ雁渡る」の音楽を担当。 *1999年 岩見沢市毛陽町に「稲夢ランド」建設。STUDIO INAMULANDでの音楽活動を開始。「ハーモニー」札幌時計台ホールにて録音。 *2001年 息子の大(はじめ)とデュオ「Kazushi & Hajime」を結成。 *2003年 「第一巻第百章」再結成。 *2004年 空知管内栗沢町にある、美流渡(みると)小学校の全校児童24人の子供たちが書いた言葉をつなぎ合わせた詞に曲をつけ百周年の歌を作る〔。 *2005年 第一巻第百章「同輩よ」、いなむら大「若き狼」のプロデュース。 *2014年 1月4日午前、岩見沢市内のスタジオで倒れているのが見つかり、すぐに病院に搬送されたものの死亡が確認された。享年64〔北海道新聞 2014年1月5日朝刊14版 第28面(第2社会面)掲載の記事による。〕。同年1月30日、札幌市中央区のクラップスホールにて「稲村一志を送る会〜二月の匂い〜」が執り行われた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「いなむら一志」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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