|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 号 : [ごう] 1. (n,n-suf) (1) number 2. issue 3. (2) sobriquet 4. pen-name ・ 作 : [さく] 1. (n,n-suf) a work 2. a harvest ・ 作戦 : [さくせん] 【名詞】 1. military or naval operations 2. tactics 3. strategy ・ 戦 : [いくさ] 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight
い号作戦(いごうさくせん)とは、日本海軍が1943年4月7日から15日にかけて第十一航空艦隊と第三艦隊所属の艦載機により、ガダルカナル島やニューギニア島南東部のポートモレスビー、オロ湾、ミルン湾に対して空襲を行った作戦である。 == 背景 == 日本海軍はケ号作戦後、1943年3月に発令された第三段作戦帝国海軍方針と、同時期に日本陸軍との間に取り決められた陸海軍中央協定で、春以降の作戦方針としてニューギニア方面を重視していくことを確認した〔#戦史39、p89~p103〕。こうしたなか、ラエ、サラモア方面に対する増援作戦として3月3日に八一号作戦が実施されたが、輸送船団は連合軍の爆撃に遭い、増援の陸軍51師団は上陸前に大損害を受けてしまった。一方連合軍はガダルカナル島(以下ガ島と省略)及び東部ニューギニアのブナ地区を手中にし、これより発進する戦闘機と爆撃機は、ムンダ方面、ラエ、サラモア方面を連日のように空襲し、ソロモン諸島方面ではニュージョージア島より南、ニューギニア方面ではダンピール海峡地区より南の制空権を掌握するに至った〔#戦史39、 p115 〕。軍令部作戦課長山本親雄によれば「い号作戦について軍令部から指示した記憶はない。八十一号作戦ラエ輸送の全滅は「い」号作戦決行の一つの動機になったと思う」という〔#戦史39117-118頁 〕。 日本海軍はケ号作戦後も中部ソロモン地区強化の為、駆逐艦による輸送作戦を実施していたが、既に制空権は連合軍側に渡っていたため、その傘の元に連合軍艦艇の行動も活発化、その結果ニュージョージア島ムンダ地区、コロンバンガラ島は3月5日、連合軍艦船により艦砲射撃を受け、同日コロンバンガラ島へ輸送作戦を実施していた日本海軍駆逐艦村雨、峯雲は、メリル少将率いる第17任務部隊に襲撃され、全滅する事態となった(ビラ・スタンモーア夜戦)。この頃、南東方面の日本海軍基地航空部隊は練度低下、器材搭乗員の損耗共に激しく、夜間少数機で行っていた陸攻の夜間爆撃すら実施困難となり、十一航艦の水偵がそれを肩代わりする事態に陥っていた〔 #戦史96 、p80~p81 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「い号作戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|