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ういろう(外郎)は日本の蒸し菓子の一種。「外良」、「ういろ」、「うゐろ」、「ういらう」、「うゐらう」などの表記が用いられることもある。外郎餅(ういろうもち)とも言う。 ''以下、蒸し菓子(外郎餅)を「ういろう」、薬(透頂香)を「外郎薬」と表記して区別する。'' ういろうは、典型的には米粉などの穀粉に砂糖と湯水を練り合わせ、型に注いで蒸籠で蒸して作る。穀粉には米粉(うるち米、もち米)、小麦粉、ワラビ粉などが用いられ、砂糖には白砂糖、黒砂糖などが用いられる。小豆あん、抹茶など、さまざまなものが加えられることも多い。室町時代のころから存在する黒砂糖を用いた「黒糖ういろう」が本来の姿と考えられている。 ちなみに、「ういろう」や「外郎」は普通名詞であり、発祥に関わりない第三者による商標登録も認められている〔東京高裁 平成12年(行ケ)第321号 審決取消請求事件〕。 == 起源 == ういろうの起源については、 * 江戸時代の百科事典『和漢三才図会』にも見られる、色(黒色〔現在、販売されている外郎薬には銀色のものもあるが、仁丹同様、食用銀箔を用いたコーティングによる色と考えられる。近年用いられるようになった丸薬等の保護技術である。〕)が外郎薬(透頂香)に似ていることから「外郎(ういろう)」と呼ばれる菓子になったという説〔。 * 愛知県内、三河地方の伝統菓子である「生せんべい」(半生菓子)が原型となっている説〔生せんべいとは 総本家田中屋 2013年12月8日閲覧〕。 * 当時の中国から博多に亡命した陳宗敬の子、宗奇が足利義満の招請で上洛して外郎薬を献上した際に、口直しに添えた菓子に由来するという説〔〔。 以上の3説が通説となっている。以上から、日本におけるういろう発祥の地は、前説を採れば不詳、中説を採れば愛知、後説を採れば外郎家初代宗敬の在住した博多、または、2代目宗奇が在住し、ういろうを初めて世に知らしめた京都となる。一方、小田原をういろう発祥の地とする説が唱えられることがあるが、これは間違いで、ういろうの元祖を標榜する外郎家の末裔(小田原外郎家)が現在、小田原市に存在することから生じた誤解である。小田原外郎家自身もういろう発祥の地を小田原としていない〔ういろうも外郎家も小田原外郎家の成立以前から京都に存在していたと主張している。〕〔。なお、宗敬が在住した妙楽寺(福岡県福岡市)では、「ういろう伝来之地」の石碑が1987年(昭和62年)に建立されている。また、発祥に関する独自の伝承が存在する地域もある( 「各地のういろう」の節を参照のこと)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ういろう (菓子)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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