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上野賢一郎(うえの けんいちろう、1965年8月3日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(3期)、自民党滋賀県連会長。妻は元岩手朝日テレビアナウンサーの土岐聡子。 == 来歴 == 滋賀県長浜市出身。滋賀県立虎姫高等学校、京都大学法学部卒業後、自治省に入省。その後、岩手県庁に勤務した。 2003年11月9日の第43回衆議院議員総選挙に、滋賀1区から自由民主党公認で出馬したものの、民主党現職の川端達夫に敗れ落選。2004年の第20回参議院議員通常選挙に、自民党公認で滋賀県選挙区から出馬したが、民主党の林久美子に敗れた。 2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では、川端を破って初当選した(川端は比例復活)。 2007年、自民党税制調査会幹事に就任。新人議員としては異例の抜擢で戦後初となる〔上野 賢一郎-日本政治.com 〕。 2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙には、自民党の公認、公明党の推薦を受けて出馬〔比例貢献が基準?公明が自民92候補を推薦(2009年7月30日20時25分読売新聞) 〕。川端に対して高島市では僅差で勝利するものの、大票田の大津市で大差をあけられ、比例復活も出来ずに落選した。同年12月に、県内の自民党国会議員が全員落選して空席となっていた自民党滋賀県連会長に就任。 2010年6月、同年7月の滋賀県知事選挙に無所属で出馬する意向を表明。自民党を離党した。知事選への出馬については、自民党滋賀県連による候補者擁立が難航した結果、県連会長として候補擁立の最高責任者であった上野に対して「強烈な立候補の働きかけ」があったとされている〔「私は貝になりたい」 滋賀県議会議員 石田ゆうすけブログ〕。同年6月16日には守山市、彦根市、栗東市、近江八幡市の4市長が滋賀県庁で会見し、「市長有志の会」を設立し、知事選で上野を支援すると発表した。この会は現職の嘉田由紀子と新幹線新駅で対立してきた栗東市長、ダムで対立してきた彦根市長が参加している。会への参加を見送った市長からは、市長が知事選へ積極的に参画することに疑問の声も上がった〔「選択2010しが知事選:反嘉田「有志の会」設立 4市長、上野氏を支援へ /滋賀」 『毎日新聞』2010年6月17日〕。また、上野の選挙対策本部は同日に行われた第22回参議院議員通常選挙に滋賀県選挙区から出馬した武村展英と同一の本部が仕切っており、自民党が前面にでているのは明らかであるにも関わらず政党色を消そうとする上野に対して、現職の自民党県議からも批判の声が出た〔「初めての万歩計」 滋賀県議会議員 石田ゆうすけブログ〕。同年7月11日の滋賀県知事選挙では現職の嘉田由紀子に破れ、落選した。 2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙に自民党公認で滋賀2区から出馬。民主党現職の田島一成を破り、国政に復帰した。 2014年9月4日、国土交通大臣政務官に就任。2014年12月14日の第47回衆議院議員総選挙で3選。2015年10月23日、自民党財務金融部会長に就任〔〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「上野賢一郎」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kenichiro Ueno 」があります。 スポンサード リンク
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