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『うたかたのオペラ』 (L`OPÉRA FRAGILE) は1980年9月25日に発売された、加藤和彦の6枚目のソロ・アルバムである。西ベルリンで録音された作品で、安井かずみとのコンビによるコンセプト・アルバム 『ヨーロッパ三部作』〔『パパ・ヘミングウェイ』 (1979年) 、『うたかたのオペラ』 (1980年) 、『ベル・エキセントリック』 (1981年) の3枚の海外録音によるアルバム。〕 の第2作とされている。 ==解説== 『うたかたのオペラ』 は1920年代のベルリンをテーマにしたアルバムである。前作 『パパ・ヘミングウェイ』 のセッション終盤、加藤はヘミングウェイが若き日々を送った1920年代のパリをはじめとするヨーロッパ文化に深い関心を寄せ、次のアルバムで当時世界屈指の産業都市だったベルリンをテーマにすることを構想する。 前作と同じく、テーマに基づいて録音場所を選び、合宿による現地録音〔加藤はヨーロッパ三部作の海外レコーディングを 「高級合宿」 と称していた。(出典 『エゴ 加藤和彦、加藤和彦を語る』 加藤和彦・前田祥丈著 スペースシャワーブックス 2013年)〕でミュージシャンのテンションを高めるという録音方針が採用され、レコーディングは西ベルリンの壁沿いにあったハンザ・バイ・ザ・ウォール〔このスタジオの日本語による呼称は、ほかにも 「ハンザ・スタジオ」、「ハンザトン・スタジオ」 などがあるが、本項は1980年発売のオリジナル・アナログレコードの表記に拠る。〕で行なうこととなった。参加ミュージシャンはYMOのメンバー3人と大村憲司が予定されていたが、日本を発つ数日前に坂本龍一が急病のためにキャンセルになり、代わりに矢野顕子が自らベルリン行きを志願した〔出典 『エゴ 加藤和彦、加藤和彦を語る』 加藤和彦・前田祥丈著 スペースシャワーブックス 2013年〕。 ミュージシャンがドイツ入りしたのは1980年7月で、本作でも加藤が準備した曲にあわせて安井が現地で詞を書くという手法が採られたが〔安井はベルリン滞在中、沈鬱な街の雰囲気や、現地のコーディネーターである亡命者の女性から聞いた話から受けたショックが原因で起きためまいや失語症と闘いながら作詞した。後年、安井は 「あんな総毛立つ思いで作詞をしたのは、後にも先にも初めてでした。」 と述懐している。(出典 『ワーキングカップル事情』 加藤和彦・安井かずみ著 リクルート情報出版 1984年)〕、彼らはベルリンの壁がそびえ、戦災で破壊された歴史的遺構が残る重苦しい雰囲気に影響され、そのサウンドも重厚でテンションの高いものとなった〔。しかしレコーディングそのものはスムーズに進み、8月に帰国したのち東京でオーバーダビングが行われた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「うたかたのオペラ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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