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おさしづ : ミニ英和和英辞書
おさしづ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


おさしづ ( リダイレクト:天理教#文献 ) : ウィキペディア日本語版
天理教[てんりきょう]

天理教(てんりきょう)は、日本江戸時代末に成立した新宗教の一つ。中山みき教祖〔天理教では「教祖」と書いて「おやさま」と呼称している。〕とする宗教団体である。狭義には奈良県天理市に本拠地を置く包括宗教法人(宗教法人天理教)およびその傘下の被包括宗教法人(教会本部及び一般教会)を指すが、広義には中山みきが伝えた教義そのものを指す場合があり、信仰する単立の宗教法人もある。本稿では、狭義の天理教を中心に述べる。
== 概要 ==

「宗教法人天理教」及びその被包括法人である「宗教法人天理教教会本部(略して教会本部)」は奈良県天理市にあり、またその傘下にある一般教会は各地に点在する。
神名(かみな)は天理王命(てんりおうのみこと)で「親神」、「親神様」とも呼称される。教会本部、各地の一般教会では、天理王命とともに教祖と御霊の社を置き礼拝しているが、一神教(一つの神のみを信仰する宗教)である。「陽気ぐらし」という世界の実現を目指している。教祖は中山みき〔中山美伎、美支とも〕。天理教では「教祖」と書いて「おやさま」と呼称している。天保9年(1887年)に、教祖・みきは90歳で死去したが、天理教では目に見える存在の「現身(うつしみ)を隠した」のであり、その魂は今でも「元の屋敷(現在の教会本部)」に留まっており、人々の暮らしを見守り守護しているとしている「教祖存命の理」が、天理教信仰の根本的な精神的支柱となっている〔。
現在の統理者は真柱(しんばしら)・中山善司。
天理教では、人間のの発祥地の中心を「ぢば」(地場)と称し、明治8年(1875年)6月29日(陰暦5月26日)に教祖の「ぢばさだめ」という啓示でその場所を定めている。二代真柱の中山正善によれば「ぢば」という言葉には特別に意味は無く、教祖はあくまで「場所」という日本語のニュアンスで使用していたとさし、その後の教勢の発達と時間的な経過とともに「ぢば」は天理教義的な観点から「人間の宿し込みの地点」と意味が明示され、場所な視座ではその証拠として据えられている「かんろだい」のある特定の地点と定義されるようになったとされる〔。この「ぢば」は「元なるぢば」「かんろだいのぢば」の意味もあり、天理教の信仰の対象であり、中心であるとされている〔この他にも「ちば」は「よろづたすけ」の源泉や、天理王命の神名が授かったところであるという意味もあるとされている。()〕。このようなぢばの意義は「ぢばの理」と呼ばれている。現在の天理教教会本部は、この「ぢば」を中心に建られており、神殿の四方に建てられたすべての建物を「かんろだい」の礼拝所とし、全国の各教会の神殿も「ぢば」の方向にむけて建てられている。通常は、丁寧語の「お」をつけて「おぢば」と呼び、人がこの地を訪れることは、故郷に帰ることであるから、「おぢばがえり」と呼んでいる。そのため天理駅や天理市内の関係者の宿泊施設である信者詰所などには「お帰りなさい」や「ようこそおかえり」などという看板が見られる。
「ぢば」の中心には、人間創造のあらわす六角形の「かんろだい」(甘露台)〔横から見た図 hiryou/images/uezu.gif 上から見た図]ホゾの図 天理と刻限サイトより〕が置かれた「神殿」が建てられ〔、四方から囲むように信者等が礼拝する四つの「礼拝場」(らいはいじょう)がある。そのほか教会本部には、教祖が存命のまま暮らしているとされる「教祖殿」(きょうそでん)、御霊を祀る「祖霊殿」(それいでん)などがあり、信仰に関係なく誰もが自由に出入りすることができ、南礼拝場は24時間開かれている〔参拝のご案内 | 天理教・はじめてのかたへ – 天理教公式サイト 〕。「神殿」では、毎日朝晩に「おつとめ」という定時定例の礼拝が行われており、また毎月26日は、「月次祭」(つきなみさい)という礼拝が行われる。傘下にある一般教会などにおいても、その例に倣い、「親神」「教祖」「御霊」を祀る御社を設置し、「おつとめ」や「月次祭」の礼拝が行われている〔傘下の一般教会での「おつとめ」の時間や「月次祭」の日付はそれぞれ教会ごとで異なる。〕。
「おつとめ」の「お」は丁寧語としてつけられたもので、天理教での公式な呼称は「つとめ」であり、その定義や種類は複数存在する。特にこの朝晩におこなう「つとめ」は「朝勤・夕勤」「朝夕のつとめ」などと呼ばれ、礼拝する際には、信者は「あしきをはろうてたすけたまえてんりおうのみこと」などと唱え、そこに定まった手振りを加え、主神の親神天理王命に感謝したり祈りをささげている〔「朝夕のつとめ」は「かぐらづとめ」の「座りづとめ」の部分と同様であり、実際には、「あしきをはろうてたすけたまえ」で始まる詞句を21回、「ちょいとはなし」で始まる詞句を1回、「あしきをはろうてたすけせきこむ」で始まる詞句を3回ずつ3度に分けて唱えている。〕。
かつて教派神道の一派として公認され活動していた(詳細は後述)ため、葬儀式などに見られるように神道の影響を大きく受けており、現在も「神道系宗教」とみなされることが多いが、教団側では新宗教諸派と称しており、宗教法人としての届けは「諸教」としてなされている。文化庁の宗教年鑑では「諸教の諸教団」として分類されている。
天理教は「かなの教え」とも説かれる。教祖である中山みきが、民衆にも分かりやすく説きたいとの意思から、『おふでさき』『みかぐらうた』が仮名で書かれている。教義などに使われる言葉の多くが「かな表記」にされている〔「ぢば」は「地場」、「いんねん」は「因縁」、「おふでさき」は「御筆先」、「みかぐらうた」は「神楽歌」と言った語源があるものの、現在では教団内では全てかなで表記される。〕。
基本的に信者達は、ハッピを平服の上から着用する。明治22年(1889年)に、奈良県秋津村(現・御所市)の新道開削のために地元の信者数百人が揃いの法被を着用したのがはじまりとされている。その後に「ハッピ」と表記されるようになり、昭和2年(1927年)にその表記が統一され、基本的に黒地で、背中には「天理教」「TENRIKYO」の文字が、襟表には所属団体名などが白字で記載されている〔通常、表側(右側)の襟に所属の本部直属教会名を、下側(左側)の襟に所属分教会・布教所名などを入れる。ただし修養科生が着るハッピについては、表側の襟に「修養科生」、下側の襟に大教会名を書く。〕。現在では、祭典などの公的行事のほかひのきしんやにをいがけなどの活動時などにも着用し、天理教のトレードマーク、象徴となっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tenrikyo 」があります。




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