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『おしいれのぼうけん』は、ふるたたるひ(古田足日)・たばたせいいち(田畑精一)著による絵本、童話である。1974年と1980年に童心社より出版され、2012年夏には累計部数が200万部を突破した〔本はともだち:「おしいれのぼうけん」200万部突破 不安乗り越える喜び 今も子どもを魅了 、『毎日新聞』2012年8月22日、東京朝刊。〕。続編として絵本『だんぷえんちょうやっつけた』 (絵本ぼくたちこどもだ 2) (1978年)があり、また物語『へび山のあい子』(1987年)もこの延長線上にある。 == 概要 == 新しい絵本シリーズ(当初予定では5冊)を描くことを童心社の編集者から依頼されて、古田が田畑精一を相棒に、保育園を取材してまわって構想を練り、「文」と「絵」について互いにアイディアを出し合いながら完成させた「共作」の絵本である。著者欄には古田に続いて田畑の名前が並ぶ。 "集団の中で子どもは育つ"をコンセプト〔『別冊太陽 絵本の作家たち III』〕に、子どもの生活を子どもの側から描いた絵本という新しい絵本シリーズ(絵本 ぼくたちこどもだ)〔『全集 古田足日 子どもの本 第5巻』古田による「あとがき」420-426頁〕を制作するために、古田、田畑、編集者の3人は保育園を取材してまわる。いろいろな話の中に、「子どもを押し入れの上下に入れた話」や、人形劇の「ねずみばあさん」を子どもたちが心底怖がるという話〔取材先の一つ、そよかぜ保育園園長小林喜久子によれば、同園では人形劇「ひげ太郎」(脚本 古田文恵)に登場する「ねずみばあさん」が子どもたちに人気だったという。(『全集 古田足日 子どもの本 第5巻』438頁)〕があった。これらに触発されて、古田が「子どもの心の中の冒険」どいう独創的な物語を書き上げた。古田はこの冒険について「甲賀三郎の話」やオオクニヌシにある「根の国(地下の国)」から「母親の胎内」「薄くらがり」に通じる「押し入れ」で試練にあい、新しい力を獲得するという神話的展開を考えていた、と説明する〔。 田畑もアイディアを出し、古田が絵に注文を付けるという形で、単なる挿絵を超えた共作が出来上がった。田畑はこの本のためにそれまでと全く違う絵が必要と考え、保育園に何度も足を運んで子どもたちの集団を見て何枚も絵を描き続けた末に、生き生きとして自由で魅力的な子どもたちを描きあげた。この間の事情は田畑自身の文「『おしいれのぼうけん』の日々 ぼくの人生の特別な時間・・・・・・」と担当編集者酒井京子の「古田さんと田畑さんの絵本づくり 『おしいれのぼうけん』他が生まれるまで」〔『全集 古田足日 子どもの本 第5巻』「古田足日らんど」436-480頁〕に詳しい。 難解な表現が少ないため、小学生以上であれば難なく読破できるが、4歳前後の幼児であっても、読み聞かせという形で物語を理解する事ができる。題材としては「怖い話」に分類されるが、この作品において描かれるのは恐怖ばかりではなく、叱られるようなことをしてしまった子供たちの視点と、罰を与えた側の先生の心理的な時間の経過、そして恐怖の「おしいれ」に閉じ込められた主人公ふたりの勇気と友情といった要素が鮮明に描かれている。暗闇での冒険の果てに、「こわいもの」だった押し入れとねずみばあさんは「とてもたのしいもの」に変化する。 物語はほとんどが鉛筆で描かれた絵で構成される。その中で、押し入れの闇に光る怪しい目、ライトをつけて走り出すミニカーとデゴイチ、星々のきらめきなど、田畑は特に色彩のほしい箇所では「象徴的な強い色の絵」〔を描いて、鉛筆のモノクロームな絵と対比させている。 実は、最初の場面では保育園の扉に「遊びに入らないでください」という張り紙があるが、物語の終わりの場面ではこれがなくなっている。これは田畑が「保育園では子どもに思いっきり遊んでほしい」という思い反映したものである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「おしいれのぼうけん」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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