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『おぢいさんのランプ』は新美南吉作の児童文学。新美の生前に刊行された唯一の童話集「おぢいさんのランプ」(1942年)に収載された。 子供が見つけたランプにまつわる話をおじいさんが語って聞かせる構成で、最初と最後の部分は刊行当時の1940年代、本編の話は「日露戦争のじぶん」の物語である。 ==あらすじ== 東一少年が友達とかくれんぼをしているときに、蔵の中でランプを見つける。その形を面白がった彼は蔵からランプを持ち出し、友達と見入っていたところ、おじいさんから「子供は何でも持ち出しおる!電信柱でも何でも、遊ぶものはいくらでもあるだろう!」と叱られてしまう。やがて日が暮れた。東一が家の中で、昼間見つけたランプをこっそりといじっていたところ、おじいさんがやってきて自身の一代記を語りはじめる。 時は明治の終わり頃。岩滑新田(やなべしんでん)の村に巳之助という少年がいた。彼は両親も親戚もいない、全くの孤児だった。そんな彼は子守でも米搗きでも何でも村の雑用をこなし、何とか村に置いてもらっていた。ある日、人力車牽きの手伝いを頼まれて町に行った巳之助は、初めてランプという物を知る。その明るさに感動した彼は、自分の村も明るくしたいと考え、何とかランプを手に入れて自分の村に持ち込む。そこから徐々に手を広げ、ランプ売りとして生計を立てるようになった。 ある日、売り文句で「畳の上に新聞をおいて読める」と言いながら、自分が文盲であることを恥じた彼は、区長さんに字を教えてもらい、書物を読むことを覚える。 ランプ屋として成功した彼は家を建て、妻を娶る。やがて子どもも生まれ、幸せの絶頂だった。ところが、いつしか村に電気を引くという話が持ち上がる。電灯が灯されれば、用なしのランプが駆逐されてしまうだろう。ランプに生活をかける巳之助は電気の導入に頑強に反対したが、結局のところ村への電気導入が決まってしまう。彼は逆恨みして、電気導入の寄り合いで議長を務めた区長さんの家に火を放とうとする。しかし、放火しようにも、手元にマッチがなかった。代わりに持ってきた火打石ではなかなか火が起こせず、苛立った彼は、「古くさい物は、いざというとき役に立たねえ」と悪態をつく。 その瞬間、彼は自身の誤りを悟る。今やランプも古臭いものだ。これに執着して、逆恨みで火を放つなど人の道に反することだ。彼は家に引き返すと、家にあるすべてのランプに灯油を注ぎ、商売用の車に下げて持ち出す。そして全てのランプを池の縁の木にぶら下げて火を灯すと、泣きながら石を投げつけ、ランプに別れを告げるのだった。そして彼はランプ屋を廃業し、町に出て本屋をはじめた。 東一の祖父である巳之助は、東一にこう諭して結ぶ。「・・・それでも世の中が進歩して自分の商売が役に立たなくなったらすっぱりそいつを捨てて、昔にすがりついたり時代を恨んだりしてはいけないんだ。」 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「おぢいさんのランプ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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