|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 中 : [なか] 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among ・ 村 : [むら] 【名詞】 1. village ・ 一 : [いち] 1. (num) one ・ です : [です] (aux) polite copula in Japanese
おはようパーソナリティ中村鋭一です(おはようパーソナリティ なかむらえいいちです)は、1971年4月-1977年3月に放送された朝日放送ラジオの早朝ワイド番組。放送時間はAM7:15〜AM9:30。 当時、朝日放送のアナウンサーでスポーツ中継一筋だった中村鋭一がこの情報番組の司会に挑戦。日本で初めて司会者が「パーソナリティ」を名乗ったラジオ番組と言われる(ただしこれには異説もある。詳しくはラジオパーソナリティの項を参照)。関西での聴取率はトップを誇り、カーラジオの占拠率が6割を越えたこともあったという〔井上章一『阪神タイガースの正体』(太田出版、2001年)、P325〕。 == エピソード == === 阪神タイガースの熱烈応援 === 阪神タイガースが試合で勝利した翌日の放送では、中村が球団歌の『阪神タイガースの歌(六甲おろし)』を熱唱したことでリスナーから大変な人気を集めた。さらには、勝った試合のハイライトシーンを放送したり、対読売ジャイアンツ(巨人)戦に勝つと軍歌の『凱旋』を歌うなど、だんだんと派手になった。1972年にはテイチクレコードから、中村歌唱による『阪神タイガースの歌』のレコードが発売された(制作には朝日ミュージックサービス(AMC)が関わっている)。また、「鋭ちゃんといっしょに阪神を応援しよう」という企画を立て、リスナー3000人を招待してファンに小旗やメガホンを配り、甲子園に出かけて観戦することもおこなった。中村は後のインタビューで「(応援に)集団でメガホンを使うのはあそこからやと思います」と述べている〔『阪神タイガースの正体』P328。学生野球では慶應義塾大学が1906年にメガホンを応援に使用しており、社会人野球でも1937年に撮影された写真にメガホンを使用している例がある(永井良和・橋爪紳也『南海ホークスがあったころ』(紀伊國屋書店、2003年)P107,P111)。プロ野球観戦にメガホンを持参することについては『南海ホークスがあったころ』に「一九八〇年代前半になって定着した行動である」(P228)との記述があるが、中村の発言が正しいかどうかは裏付けとなる資料がなく不明である。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「おはようパーソナリティ中村鋭一です」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|