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お昼のワイドショー : ミニ英和和英辞書
お昼のワイドショー[おひるのわいどしょー]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

お昼 : [おひる]
  1. (n-adv,n) lunch 2. noon
: [ひる]
  1. (n-adv,n-t) noon 2. daytime 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

お昼のワイドショー : ウィキペディア日本語版
お昼のワイドショー[おひるのわいどしょー]

お昼のワイドショー』(おひるのワイドショー)は、1968年9月30日から1987年10月2日までの19年間にわたって日本テレビで放送された、主婦層をメインの視聴ターゲットにしたワイドショーである。通称「昼ワイド」。
== 概要 ==

* 開始 - 1972年3月までは平日の12:30 - 13:30まで、1972年4月 - 1975年3月までは平日の12:00 - 13:00に放送、1975年4月 - 最終回までは、12:55 - 13:00に5分間のミニ番組『暮らしのヒント』が放送されるため12:55までの放送となった。
* 日本テレビはこの時間帯に主にニュースワイド番組『ワイドニュース』等を編成していたが、それを主婦にターゲットを絞って、芸能情報こそ皆無だったが、最近のニュースについての解説(「八丁破れのニュース解説」)や生活に役立つ情報、また新倉イワオのライフワーク的な企画で心霊研究家として大ブレークするきっかけを作った(木曜日のレギュラーコーナー、夏休みなどの長期休暇にはまとめて放送された)「怪奇特集・あなたの知らない世界」、「女の事件」コーナー、「テレビ公開捜査」コーナー等様々な内容が放送された。東京製作のみとなった後も、最初の頃には視聴者参加型のゲーム企画やバラエティショーが放送されていた時期もある。また、夏休み・冬休み・春休みを中心にカラオケ大会を実施していたこともある。
*初代司会は、スタートした1968年夏の参議院選挙で初当選し、「タレント議員」という言葉を世に根付かせた青島幸男横山ノック。夜の看板番組『11PM』と同じく、隔日ごとに東京・日本テレビと大阪・よみうりテレビの製作で放送されており、青島は日テレ発の(「青島のワイドショー」というタイトルにもなっていた)、ノックはよみうりテレビ発の(「ノックのワイドショー」というタイトルになっていた)同番組のメイン司会を担当。国会会期中を中心に議員活動との両立で定期的に番組出演や打ち合わせへの参加を見合わせる必要のあった青島・ノックを補佐する進行役として中山千夏八代英太(後に2人とも参議院選挙に出馬し、当選)が参加し、トリオ体制での放送が行われていた(のち、1971年4月からは日本テレビ製作版のみとなり、同時に大阪版のホスト役であったノックも番組を降板、青島・中山・八代のトリオ司会で全曜日の放送が行われるようになった)。
*その後、1973年6月に愛知県刈谷市で行われた歌謡ショーの司会をしている最中、八代が事故に遭い、下半身不随の重傷を負って長期療養を強いられることになった。しかし、約3か月後の同年8月、番組にゲストとして出演し芸能活動を徐々に再開。同ゲスト出演時では車椅子生活の不便さを同番組で訴えた。その後、1974年春より「車椅子の司会者」という触れ込みの元、司会者として八代の休養中の穴を埋めた8代目古今亭志ん馬との曜日別出演の形で正式に番組に復帰、1976年9月まで司会を担当した。
*1976年9月にスタート当初から8年間、青島のアシスト役を務めてきた中山・八代がそれぞれテレビ出演撤退・政治活動への進出(中山)、参院選出馬の準備(八代)を理由に番組を降板。残った青島も、政治活動へと参加するようになった中山・八代の指南役を買って出ていた事情から、1977年以降は番組を欠席する機会が増えて行き、1979年9月をもって司会を勇退(但しその後も「あなたの知らない世界」や「女の事件」の常連コメンテーターの一人として番組には最末期まで参加していた)。
*その後、しばらくの間はサブ司会の落語家の志ん馬・神山喜久子(当時日本テレビアナウンサー)コンビによる司会で放送が行われたが、翌1980年4月より「体操のお兄さん」として有名だった砂川啓介が新たなメイン司会者として起用され、最後の1年半は元NHKアナウンサーの生方恵一が司会となった。
*日本テレビでは昼-午後枠のテコ入れとして本番組と後に続く『ごちそうさま』、『2時のワイドショー』(よみうりテレビ製作)、『酒井広のうわさのスタジオ」を統合し、1987年10月から『午後は○○おもいッきりテレビ』をスタート。これにより、番組は19年の歴史に幕を下ろした。最終回は番組の顔だった青島、砂川らの歴代司会者や番組に携わった人が生出演し、19年間を振り返った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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