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『お笑いワンマンショー』(おわらいワンマンショー)は、1983年4月10日から1990年3月31日まで名古屋放送(現・名古屋テレビ)で放送された演芸番組。 この項目では、1960年代から1970年代に同局で放送された前身番組群、および1990年代に放送された後継番組も含めて記述する。 == 概要 == 寄席演芸を主体としていた番組シリーズで、当初は木曜23:15から23:45に放送されていた。その当時のタイトルは『東西お笑い大須寄席』(とうざいおわらいおおすよせ)で、大須演芸場からの録画中継形式で放送されていたが、〔2012年4月1日発行 名古屋テレビ放送50年史 61ページ〕1967年1月から『東西デラックス寄席』(とうざいデラックスよせ)と題してリニューアルした。1969年10月からスタジオ寄席として公開録画放送へと移行し、司会には若井はんじ・けんじを起用していたが、後の1974年に同日曜午後枠でNETテレビ(現・テレビ朝日)製作の『爆笑オンパレード』がスタートすることになり、この番組シリーズはここで一旦終了した。 1977年に『爆笑オンパレード』が終了すると、番組は『仁鶴のお笑い決定版』(にかくのおわらいけっていばん)と名を改めて復活した。タイトルが示す通り、この番組では笑福亭仁鶴が司会を務めていたことから上方の芸人たちが多く出場するようになり、バラエティ色・関西色が濃くなった。しかし、この番組は1年で打ち切られ、同番組シリーズは再び沈黙の状態を迎えることになった。 それから4年半後の1983年に、番組は『お笑いワンマンショー』と名を改めて復活した。それまでの内容を一新して基本に立ち返り、東京の芸人たちも多く呼び寄せるようになったが、この番組は放送時間の変動が非常に多く、日曜深夜枠と土曜午後枠を行ったり来たりしていた。そして、最末期の1990年に金曜深夜枠へ移動し、以後は『八方・菜摘の笑タイム』(はっぽうなつみのしょうタイム)と題して放送されるようになった。司会には大阪出身の月亭八方と東京出身の小川菜摘を起用し、内容も当初は東西それぞれの芸人たちによる演芸対決を売りにしていたが、後に再び関西色が強まり、吉本興業の若手芸人たちが多く出場するようになった。この頃の主な出場者に今田耕司やぜんじろうなどがいる。 この番組シリーズは製作局の名古屋放送のほか、キー局のNETテレビや系列外局のTVKテレビ、サンテレビなどでも放送されていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「お笑いワンマンショー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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