|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。
かぜ 耕士(かぜ こうじ、1944年7月13日 - )は、埼玉県比企郡嵐山町出身の作詞家・放送作家・ラジオパーソナリティ。日本大学芸術学部卒業。日本大学芸術学部放送学科、非常勤講師。 == 来歴 == *中学生、高校生時代は東京都墨田区向島で過ごす。ミュージカル俳優を目指して日本大学芸術学部演劇学科入学〔日刊スポーツ 2014年8月30日22面『あの人に聞きたい 著名人にロングインタビュー かぜ耕士さん・上』〕。 *大学在学中の1967年12月からかぜ耕士のペンネームで活動を開始。役者修行中に右足を骨折し、大学卒業後の翌年1968年4月に作詞家としてデビュー。デビュー作はアイ・ジョージの曲『太陽よ永遠なれ』。尚この当時、『3時のあなた』(フジテレビ)、『走れ!歌謡曲』(文化放送)でアシスタントディレクターとして働いていたこともある〔。 *1969年からは放送作家としても活動開始、テレビ、ラジオの番組でレギュラーを持つ。 *1970年よりNHK総合テレビで『ステージ101』が放送開始、同番組の構成と共に『涙をこえて』『脱線列車にのり込んで』『お昼は何にしましょうか』などオリジナルソングの作詞も手掛ける。『涙をこえて』は、第1回合歓ポピュラーフェスティバル優勝曲であるが、永六輔が海外取材のため代わりにかぜ耕士を抜擢。みごとグランプリを獲得した。 *1972年4月から約6か月間『土曜ショー』のインタビュアー、ナレーターを務める。同年10月からNHKのラジオ番組『若いこだま』の土曜日にレギュラー出演、ラジオパーソナリティとしても活動を始める。 *1981年10月、『かぜ耕士のオールナイトニッポン』終了。ラジオのレギュラーパーソナリティとしての座からは離れ、単発番組出演や、CMのナレーションなどを務める。 *1984年、主な活動場所をテレビ番組の構成に移し、情報番組、ドキュメンタリー番組の構成を多く手掛ける。この時から風小路将伍というテレビ用のペンネームを使い始める。 *1985年、『そこが知りたい』の「通勤線途中下車」シリーズの構成を始める。 *1999年4月から『バックグラウンド・ミュージック』(TBSラジオ)の構成の担当を始める。同番組では再びかぜ耕士の名前を使い始める(但しテレビにおいてはこれまで通り『風小路将伍』のままとのことである)。 *2013年6月 FMさがみ、「かぜ耕士のどこかでラジオが」のパーソナリティでラジオ復帰。8月よりギランバレー症候群で入院、現在リハリビ中。8月にリハビリ病院に入院し、2014年1月リハビリ病院を退院した。4月にラジオパーソナリティーに復帰した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「かぜ耕士」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|